北山賢一

北山賢一(きたやまけんいち:1947~)

系統:木地山系

師匠:樋渡庄治/阿部平四郎

弟子:北山久美子

〔人物〕 昭和22年7月16日、秋田県平鹿郡平鹿町浅舞字林崎の農業北山清助の長男に生まれた。横手の子野日幸助の妻女は姉に当たる。
昭和41年増田高校を卒業。昭和48年に雄物川町の鈴木虎大の長女久美子と結婚した。
昭和50年より秋田県稲川町大館の樋渡庄治について2年間椀木地の指導を受けた。その後、昭和53年より阿部平四郎についてこけしの製作を学んだ。昭和57年頃より自分名義の作品を出すようになった。
昭和59年に横手市平鹿町浅舞にて独立し、この地でこけし製作を続けている。昭和62年頃から妻女の久美子もこけしの描彩を行う。


北山賢一 平成30年 撮影:佐藤 健兒朗

〔作品〕阿部平四郎についてこけしを学んだが、とくに小椋米吉型に誠意を持って取り組んだ。平成に入ってから忠蔵庵の展示販売などで、在京蒐集家の米吉などをもとに完成度の高い復元作を出陳した。下掲はその時期の作品で、石井眞之助蒐集の米吉復活最初の作をもとに復元したもの。特に右端は原物の姿をよく再現できている。


〔右より 18.2cm(平成5年)、27.5cm(平成8年)(橋本正明)〕

各種米吉型に加えて、小椋石蔵型や伊藤儀一郎型にも取組み、作品のレパートリーを広げた。下掲は石蔵型。ほかに木地玩具などの製作にも積極的に取り組んだ。


〔20.5cm(平成16年)(橋本佳子)〕 石蔵型 伊勢こけし会第96回頒布

賢一はこけし製作の姿勢を次のように表現していたことがある。
「古人はローソクの明かりの中で作り、描写し、物資の少ない田舎の生活は楽でない時代、そんな中でこけしを作ると、単なる素朴さだけではなく、孤独感もこけしに出てくるでしょう。私は薄暗いローソクの明かりの中で、必死に何かに堪えて一点をみつめている、そのような表情のこけしと言うことで作っています。」
 
〔伝統〕木地山系

〔参考〕

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