小林友次(こばやしともじ:1911~1974)
系統:山形系
師匠:小林鶴次/小林吉太郎
弟子:小林キクエ/羽鳥広良/添川一/黒田忠
〔人物〕明治43年4月1日、秋田県仙北郡生保内村生保内字宮後の桶屋小林亀治、フクの二男に生まれた。長兄は勇吉、ナカ、ハナ等の妹がいた。従来、友治と表記されていたが、戸籍表記は友次である。大正11年、生保内小学校卒業、直ちに秋田市登町の叔父小林鶴次に入門、木地を修業した。義兄小林正吉は兄弟子にあたる。長らく所在不明であった正吉、鶴次と友次の関係は名古屋の蒐集家田中舜二の努力でわかったもので〈伊勢こけし誌・125〉に詳しい。秋田時代にはこけしは全く作らなかった。昭和9年妻キクエと共に米沢へ移り、元町の「はたや」で木管を挽いていた。昭和10年ころより小林吉太郎の所で職人として働くようになり、はじめてこけしを作った。昭和14年より米沢市信濃町の工場で小林吉太郎、高崎栄一郎等と働き、昭和18年吉太郎の没後、上花沢仲町で独立した。昭和21年に坂部政次が職人として働いたことがある。以後米沢市東三丁目で新型、旧型を作り続けた。妻女キクエとの間に長男泰造がいる。
木地の弟子には長男泰造のほかに羽鳥広良、添川一、黒田忠等がいる。
昭和49年8月5日没、行年65歳。
〔作品]戦前のものが少数残っている。吉太郎の影響で、割れ鼻、切れ長の上瞼、太い胴に五弁花を重ねて描く。戦後のものは胴が太く、新型の影響があって表情はかなり甘くなっていた。
〔24.0cn(昭和45年)(高井佐寿)〕
〔伝統〕山形系。長男泰造は米沢市万世町で木地を挽いていた。