笹森淳一(ささもりじゅんいち:1954~)
系統:津軽系
師匠:佐藤善二
弟子:
〔人物〕
昭和29年7月9日、大工・鉄男の二男として生まれる。
昭和48年4月に高校を卒業して佐藤善二の弟子となり、昭和54年まで住み込みで修業した。笹森が弟子入りした頃は小島俊幸が住み込み、阿保六知秀は通いで、佐藤佳樹は小田原に木工機械の勉強に行っていた。本間直子は笹森と入れ替わりで弟子に入った。
父親は大工でサイドボードなどの彫刻をした。祖父は建具屋だった。佐藤善二に弟子入りしたきっかけは、母親がたまたま病院で善二に会ったことによる。趣味で高校生の時に木彫をしていて、その頃に彫った仏像や面がまだ残っている。仏師を志したこともあり、絵を描くことも好きであった。善二の下では、こけしを作る前に孫の手(こけしの頭をつける)や、ヅグリで描彩の練習をした。ヅグリは穴を掘る練習になったという。木鉦やローソク立ても作った。
こけし製作より10年目で白石の全日本こけしコンクールで受賞した。
平成5年4月には、東京の長泉院附属「現代彫刻美術館」で2ヶ月間「津軽の木地仏展、笹森淳一の世界」という個展を開いた。
平成23年の年末に火災で工房と自宅を全焼、こけし製作に必要な道具の多くを失うなど苦難に見舞われたが、兄弟子であった小島俊幸の誘いで共に仕事を再開した。現在は、弘前市大字城南5丁目に転居し、製作を続行している。
〔作品〕
笹森の作品は現在のこけしの中でも特に繊細な描彩が施され、木地仏と称する幸兵衛型から発展し弥勒菩薩をイメージした木地人形も製作して独特の世界観を創りだしている。着脱可能な帽子やガラス製の胴のえじこなど、アイディアある本人型と、斎藤幸兵衛型や佐藤伊太郎型等の復元に取り組んでいる。
〔右より、15.6cm、15.1cm(平成20年6月)(庄子勝徳)〕
〔伝統〕
津軽系温湯亜系。
〔参考〕
第462夜:笹森さんの木地仏〈こけし千夜一夜物語〉