佐竹辰吉(さたけたつきち:1895~1936)
系統:鳴子系
師匠:高橋亀三郎
弟子:
〔人物〕 明治28年(推定)栗原郡一迫町の農家に生まる。鳴子の高橋亀三郎の妻のつは鬼首の人だったが、長男武蔵が5歳のとき亡くなった。後妻に来たのが栗原郡一迫の人であったが、その縁で辰吉は明治40年13歳ころ鳴子にきて高橋亀三郎の弟子となった。小作りで体は弱かったが、腕の立つ工人であったという。松田初見も栗原郡一迫の出であったので、辰吉はその姉(あるいは妹)と結婚して、鳴子町役場の裏手に住んだ。辰吉は久しく高亀の職人をつとめ、こけしも作った。昭和11年2月10日没、行年42歳。
〔作品〕 〈こけしと作者〉には7寸の辰吉名義のこけしが掲載されている。武蔵とやや筆法は異なるが、型は全く同一である。髪飾りの小さい、広い額のこけしであった。鳴子系直蔵系列で武蔵の影響が強い。
高亀の職人として長く働いており、こけしも作ったので、高橋武蔵名義の蒐集家蔵品中に佐竹辰吉の作品が時にまぎれていることがある。
下掲は昭和3年に佐竹辰吉として入手したもの、面描等は武蔵に限りなく近いが、頭部のやや縦長な形態は武蔵のものには見られない。胴模様は武蔵のものとかなり違う。特に重ね菊中央の第一筆の入れ方、及び真っ直ぐ下に引き下ろす筆法は武蔵にはない独特のものである。
下掲写真はらっここれくしょん収蔵番号348長谷川良二寄贈と記されているこけし。作者名は記されていないが高亀の工人作であることは確かであり、一応佐竹辰吉作ということで落ち着いている。この時期の高橋武蔵作に似ていて鑑定は難しいが、表情やや鋭角的で、武蔵の目じりの下がった愛嬌のある表情とは幾分異なる。鈴木鼓堂コレクション中にも同寸法で同趣の作があり、これも辰吉作とされる。
なお〈こけし辞典〉の佐竹辰吉項目に鼓堂蔵の立ち子の写真が掲載されているが、この写真のこけしは辰吉というよりむしろ武蔵ではないかと思われる。
〔参考〕