佐藤賢一(さとうけんいち:1929~1988)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤賢治/我妻吉助
弟子:
〔人物〕 昭和4年12月25日、仙台市の木地業佐藤幸治、定代の長男に生まれる。木地業佐藤賢治の孫にあたる。佐藤信三は弟。昭和19年五ツ橋尋常高等小学校卒業、東京の日立亀有工場に勤務、青年学校に通った。昭和20年9月仙台に帰り、同21年8月より市役所勤務、市電の車掌をしたが昭和22年8月退所、昭和25年4月まで祖父賢治につき木地の修業をした。昭和23年5月より、こけしの製作を始めている。昭和30年代に仙台市東八番町の木地工場では我妻吉助からも木地の指導を受け、同時に遠刈田系こけしの手法も学んだ。この工場には、広井道顕、今野幹夫、佐藤正廣、小笠原義雄も働いていた。昭和33年1月に独立営業し、遠刈田系のこけしを作った。昭和38年8月、父幸治が右手を負傷して木地を挽けなくなったので、40年4月より佐藤賢治型を復元製作するにいたった。その後、木地下は自挽きのほかに弟信三のものも使っている。こけしは昭和63年8月まで製作していたが、身体を悪くして入院し、昭和63年11月23日に没した。行年数え年60歳。
〔作品〕 我妻吉助の型を継承し遠刈田系のこけしを作った。
このほかに、祖父佐藤賢治の型も作ったが、これは頭やや角張り胴大く、あやめ模様を描いた。
佐藤賢治-幸治-賢一の家は、仙台で古い木地屋の家系であり、そうした工人の作るこけしとして意味は深い。
〔伝統] 遠刈田系 我妻吉助よりの継承