佐藤周吾(さとうしゅうご:1881~1930)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤周治郎
弟子:佐藤静助/朝倉英次
〔人物〕明治14年11月10日、宮城県刈田郡宮村遠刈田新地の木地業佐藤周治郎、里うの二男とし
てに生まれた。母の里うは刈田郡関村の小椋榮三郎の長女、弥治郎の佐藤栄治は里うの従兄にあたる。明治26年より父周治郎につき足踏ロクロを修業、盆、鉢等の横木物をよくした。明治30年ころより青根の小原工場の職人となった。明治34年長男静助が誕生、明治37年日露戦争に出征、新地に帰郷後明治42年より北岡の職人となった。明治44年二男英次が誕生した。大正3年より静助も木地挽きを始め、大正10年秋に遠刈田温泉に新設された北岡木工所の職人となり、新地の自家から通って仕事をした。従兄弟の護と共に盆類を専門に挽いた。大正12年から二男英次も北岡木工所で木地を始めた。継続して北岡工場で働いていたが、昭和5年10月17日に没した。行年50歳。
〔作品〕こけしも作ったというが、作品は残っていない。
〔伝統〕作ったこけしは遠刈田系周治郎系列のものであったろう。
〔参考〕