佐藤博典(さとうひろのり:1935~1965)
系統:遠刈田系
師匠:我妻吉助/佐藤菊治
弟子:
〔人物〕昭和10年7月12日、宮城県柴田郡青根の大工佐藤勝雄、ひろせの長男に生まれる。母のひろせは佐藤菊治の姉まつよの娘である。昭和26年頃から仙台の我妻吉助に弟子入りし、夜間高校に通いながら木地の技術を習得した。昭和28年には青根に戻って、母ひろせの叔父である佐藤菊治についてこけしの描彩を習得した。青根温泉のバス停前に土産物店を経営しながら、菊治の工房で木地を挽き、こけしを作っていたが、昭和40年7月16日に心臓麻痺のため急逝した。行年31歳であった。
なお、〈東北の玩具〉(初版・昭和13年)の「こけし這子製作地一覧表」に、青根の作者として佐藤勝雄の名がある。これが博典の父の勝雄であったかもしれないが詳細は不明である。父の勝雄は大工が本業で、大東亜戦争に出兵したまま生死不明となった。
〔作品〕昭和30年代の多くの遠刈田系工人が作ったようなやや新型の雰囲気を感じさせるこけしを多く作った。墨絵の全く新型調のこけしもある。
ただ下掲写真のように小寸のこけしには佐藤菊治の雰囲気を残す佳品もあった。戦後の第2次こけしブームの前に亡くなってしまったので、伝統の型に力を注ぐ機会が無かったのは気の毒であった。
〔伝統〕遠刈田系