高橋直次(たかはしなおじ:1921~1944)
系統:鳴子系
師匠:高橋武蔵
弟子:
〔人物〕 大正10年6月15日、宮城県玉造郡鳴子のこけし玩具店高亀の高橋武蔵三男に生まれた。父武蔵より木地を習い、こけしも作った。昭和13年に次兄の武男が応召となり、仙台歩兵第四連隊に入ったため、直次が家業を助けた。昭和19年5月30日に没した。行年24歳。
左:高橋直次 右:高橋武蔵 昭和17年11月14日田中純一郎撮影
〔作品〕 昭和13~17年にある程度の数のこけしを製作しており、また〈鴻〉によって作者として紹介されたが、まだ年が若く修業途上だったため文献等で写真により作品を取り上げられることはほとんど無かった。〈こけしの追求〉に深沢要は「次男武男は出征中であるが、三男直次が既にこけしを作り、家業を助けているのは頼もしい。」と書いた。当時の武蔵のこけしを忠実に伝承した作であった。鈴木鼓堂旧蔵の大寸物は胴に直線的花弁の重ね菊を描き、一種独特の描法で注目される。残された作品は、小寸のものが多いように思われる。
〔右より 23.5cm、15.0cm(昭和13年)(鈴木鼓堂旧蔵)〕
昭和10年代前半に鶴岡の大滝武寛より、高亀に鶴岡こけし用の木地の注文が来ており、高亀の職人がその木地の供給を担当していた。修業時代の直次も注文の木地を挽いていた。
下掲左端の胴裾に青のぼかしを入れる彩色は鶴岡からの注文による彩色を、自分のこけしに応用したものと思われる。
〔右より 10.2cm、12.0cm(昭和13年頃)(山本陽子)〕
[12.0cm(昭和15年)(日本こけし館)〕 深沢コレクション
高亀の作風を次ぐ後継者として期待されていたが、24歳で亡くなったのは惜しまれる。
〔系統〕 鳴子系直蔵系列
〔参考〕