長岡幸吉(ながおかこうきち:1903~1976)
系統:山形系
師匠:小林吉三郎
弟子:長岡要一
〔人物〕 明治38年10月4日山形市小姓町の長岡彦次郎作3男として生まれる。彦次郎の妹きよが小林吉三郎の妻となった縁から、大正7年吉三郎の弟子となった。昭和2年に年期明けし、蔵王高湯の緑屋商店で半年職人をし、その後小姓町大通りの実家で独立開業した。昭和4年には再び蔵王高湯に行き能登屋で、同5年には三春屋で夏季にそれぞれ職人をした。昭和10年頃より小姓町にて落着き、昭和37年まで営業を続けた。その後は息子に工場をまかせ引退した。昭和51年市内東青田の新宅で逝去。行年74歳。後継者には長男要一がいた。昭和16年に近くの材木町に住んでいた小林吉兵衛がロクロを借りに来てこけしを挽いた、また吉兵衛に注文が来たこけしの木地を幸吉が挽くこともあったようである。その関係から幸吉自身も昭和18年頃からこけしを製作するようになった。
〔作品〕 吉兵衛を模したものと、胴の中央に帯を入れ桜を散らしたものがある。
〔24.0cm(昭和18年頃)(高井佐寿)〕吉兵衛の様式
〔伝統〕 山形系、後継者には長男の要一がいたが平成17年に亡くなっている。