早坂政弘

早坂政弘(はやさかまさひろ:1961~)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤正廣

弟子:我妻昇

〔人物〕 昭和36年4月15日、宮城県宮城郡宮城町大倉屋敷平に林業梅津政蔵、みや子の次男として生まれる。12歳のとき父が亡くなり、また母も身体が丈夫ではなかったので、手に職をつけることを考え 中学校を卒業後昭和51年より佐藤正廣の姉の紹介で仙台市青葉区芋沢字大竹新田の佐藤正廣の工場で木地の修業を始めた。平成3年6月に早坂知子と結婚して早坂姓に変わった。結婚するまでの約20年間にわたり師匠佐藤正廣の家で技術を磨いた。
こけしは昭和56年より製作し、昭和59年より市販されている。文献初出は「伝統こけし工人手帳・平成2年版」である。
木地の腕の立つ正廣の下で指導を受けたので、茶櫃、茶筒はじめ一通りの木地製品は挽くことが出来る。政弘にとって師匠正廣は父であり兄であって、心の底より尊敬している。
平成9年3月、近くの芋沢字沢田下に早坂政弘木目工房を開設して独立した。農業も兼業している。
青葉城で加納博と週替わりで実演していている。平成30年2月に伝統工芸士の資格を取得した。
平成27年8月より仙台市泉区の我妻昇が弟子となり、政弘の工房に通って3年間修業をした。

早坂政弘
早坂政弘 青葉城 撮影:佐藤健兒朗

早坂政弘 平成28年7月2日 東京巣鴨高岩寺実演
早坂政弘 平成28年7月2日 東京巣鴨高岩寺実演


早坂政弘

〔作品〕 こけしは昭和56年の初作以来、我妻吉助、佐藤正廣の流れを汲む本人型をベースに製作している。
平成28年7月巣鴨の高岩寺とげぬき地蔵の実演時に佐藤松之進のこけしを見る機会があり、その写しを数本を作った。その後平成30年の4月に森田丈三旧蔵の裏模様付きの松之進を復元し全日本こけしコンクールに非買品で出品した。瑞々しい作品で大阪こけし教室の目に留まり、数種類を頒布されることとなった。また平成31年1月例会のお土産こけしとして鈴木鼓堂旧蔵品で現在、谷川茂蔵品の名物、磯谷直行を原にて復元して成功を収めた。


〔右より 18.5㎝(昭和56年9月)、30.7㎝(昭和57年4月)右2本は梅津政弘のサイン、30.6㎝(平成30年4月)森田手松之進型、24.5cm(平成30年8月)大阪こけし教室頒布、29.4㎝(平成30年8月)大阪こけし教室頒布、21.2㎝(平成30年9月)大阪こけし教室頒布、25.2㎝(平成31年1月)磯谷直行型 大阪こけし教室頒布(中根巌)〕


〔24.3cm(平成3年)(ひやね)〕梅津政弘名義

〔24.0cm(平成9年)(高井佐寿)〕
〔24.0cm(平成9年)(高井佐寿)〕

〔12.4cm(平成28年6月)(橋本正明)〕
〔12.4cm(平成28年6月)(橋本正明)〕

下掲は佐藤広喜古作の復元。広喜型は大阪こけし教室の平成31年正月例会で授与する皆勤賞として依頼され、限定的に製作されたもので、継続して製作はしないようである。


〔 24.5cm(平成31年)(大阪こけし教室)〕

下掲はラッココレクション佐藤松之進6寸6の分復元。


〔20.0cm(令和元年5月)(橋本正明)〕大阪こけし教室頒布

 六郷仁美が休業後、松之進系列で正面から松之進に取り組んだ工人が少なかったが技量と描彩力を備えたこの工人が松之進系列の古品を今後さらに追求していくのが楽しみである。


〔右より 22.7cm(令和元年7月)亀之進型、19.0cm(令和元年5月)松之進型(橋本正明)〕大阪こけし教室頒布

下掲は鈴木康郎蔵の松之進を、現物を見て復元したもの。東京こけし友の会の〈こけし手帖・734〉令和4年3月号で特別頒布された。きりりとして端正な面描、奔放に踊る胴模様など最盛期の松之進の作風を見事に再現できていた。


〔30.0㎝(令和4年3月)(橋本正明)〕

こけしの他、各種木地玩具や、木地製品をつくり、またこけしの変形として多様な木地人形も作っている。

系統〕 遠刈田系吉郎平系列

宮城県仙台市青葉区芋沢字沢田下15

 

〔参考〕

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