高田稔雄

高田稔雄(たかだとしお:1973~)

系統:弥治郎系

師匠:佐藤慶明

弟子:

〔人物〕  昭和48年1月8日、宮城県仙台市宮城野区の教師高田潤一・陽子の長男に生まれる。平成7年3月岩手県花巻市の富士大学を卒業し、その後印刷業・造園業等に従事した。平成22年頃より、こけしに興味を持ち、蒐集を始めたが、こけし工人の後継者が不足しているという事を聞かされて、自身で製作する事を志すようになった。当初は、佐藤慶明への弟子入りを考えるが、慶明の体調が優れず入門を断念した。
平成26年7月より、地域人材育成事業に採用される。弥治郎こけし協同組合の数人の工人から木地の指導を受け、修業を開始した。
こけしは平成27年3月より練習を始め、描彩は佐藤慶明の指導を受けた。平成28年3月末にて、弥治郎こけし村での修業は完了し、4月より改めて佐藤慶明工房にて修業を続けた。木地製作の基礎は備わっているが、当面は仕事を見つけ、休日を利用してのこけし製作となりそうだという。
木取りや鉋作りも修業しており本格的な木地師を目指したいと意欲的である。
師匠からは、平成28年4月1日よりこけしの市販を許可されており、同年5月3日の弥治郎こけし工人会でも正式に工人会に入会を認められた。
大阪こけし教室の5月のお土産こけし2種が、初作となる。

高田稔雄 平成27年3月 撮影:中根巌

高田稔雄 平成27年3月 撮影:中根巌

〔作品〕 平成27年3月よりこけし製作の練習を始めたが、下掲は同年4月につくったもの、ほぼ最初期の習作である。慶明の型を基本として製作している。 


〔 17.9cm(平成27年4月)(橋本正明)〕 習作

平成28年には、師匠から慶明本人型と幸太型の製作許可を得たが、幸太型は面描が安定してから取り組むと言って、当初は慶明本人型を中心に製作を開始した。

〔右より 15.0cm(平成27年7月)名古屋こけし会頒布、18.0cm、18.0cm、18.5cm(平成27年6月)大阪こけし教室頒布、21,0cm(平成27年8月)修作(中根巌)〕
〔右より 15.0cm(平成28年7月)名古屋こけし会頒布、18.0cm、18.0cm、18.5cm(平成28年6月)大阪こけし教室頒布、21,0cm(平成27年8月)習作(中根巌)〕

幸太型についても、面描も安定してきたのでようやく市販できるようになり、平成29年の東京こけし友の会新年例会で6寸が頒布された。完成度の高い幸太型であった。同年5月の第59回全日本こけしコンクールでは、幸太型で最高賞を取った。


〔 18.0cm(平成29年1月)(橋本正明)〕 幸太型

下の二本は、幸太が足踏みを習う前に二人挽きで作ったこけしはロクロ線は用いず手描きだった筈で、その場合は古式のあやめ様の描彩だっただろうという考証で再現したもの。従来の幸太型よりむしろ自然な古型の再現となった。この型は令和3年に名古屋こけし会より頒布された。


〔右より 23.7cm、21.0cm(令和3年5月)(橋本正明)〕 手描き幸太型

また春二型と今三郎型にも意欲をもって、師匠から許可を得られるまで地道に習作を重ねた。
その後、今三郎型については許可を得たので、平成29年の全国こけし祭り(鳴子)にその成果を出品し、高く評価された。
古作に対する研究意欲もあり、弥治郎系幸太系列の有力な新人として期待される。


〔右より 30.2cm、14.2cm(平成29年10月14日)(橋本正明)〕今三郎型


〔右より 14.2cm、12.0cm、17.5cm(平成31年)(橋本正明)〕 今三郎型三種

系統〕  弥治郎系幸太系列

〔参考〕

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