平賀多蔵(ひらがたぞう:1911~1943)
系統:作並系
師匠:平賀謙蔵
弟子:
〔人物〕 明治45年1月7日、宮城県作並の木地業平賀謙蔵の長男に生まれる。大正13年尋常小学校を卒業すると、父謙蔵について木地を修業した。昭和5年弟の謙次郎が木地の修業を始め、一人前になると、多蔵は岩松旅館の手伝いをするようになり、雇われて働いた。昭和14年に弟の謙次郎が出征し、また父の謙蔵は痛風で木地がほとんど挽けなくなっていたので、再び木地挽きを再開し、謙蔵のこけし木地を挽いた。また、自分でも描くようになった。
昭和16年秋に出征、昭和18年1月7日にガダルカナルで戦死した。行年33歳。
〔作品〕 昭和14年頃から16年出征までの作品が少数残っている。初出の文献は〈鴻/11〉で、この号では謙蔵、謙次郎、多蔵、貞蔵、貞夫の作品が並んで写真紹介された。
多蔵のこけしは、謙蔵の描法に忠実で整った面描であった。下瞼の描法としては、上に湾曲したものと、下に湾曲したものの二通りがある。製作年代は2年ほどなので、年代による変化は少ない。
〔24.0cm(昭和14年)(中屋惣舜旧蔵)〕
〔 22.1cm(昭和15年頃)(西田記念館)〕 西田コレクション
〔伝統〕 作並系。 長男平賀忠が木地を学び、多蔵型を作った。