阿部金一(あべきんいち:1919~1945)
系統:土湯系
師匠:阿部治助
弟子:
〔人物〕 大正8年7月11日、福島県信夫郡土湯村字下ノ町の木地業阿部治助・ミサの長男に生まれる。姉にノフ、アサノがいたがアサノは金一が生まれる前に4歳で夭折した。
荒川尋常高等小学校卒業、この頃より父について木地を修業した。こけしも昭和13年頃より作り始めたという。昭和16年加藤竹治の五女シナと結婚、同年11月長男敏道が生まれた。結婚後に自署名の作を蒐集家に送るようになった。生来健康に恵まれず、肺結核のため昭和20 年1月24日没した、行年27歳。
鹿間時夫は「真面目で親の治助に似て道楽気のない青年だったといわれる」と書いている。
〔作品〕 作者として金一が紹介されたのは〈こけしと作者〉が最初である。8寸5分のこけしの写真を掲げ、「櫛形の前髪を描き表情純真な愛すべき少女を作る。胴模様の色調も亦いい。これこそ土湯こけしの前途に光彩を添えるものではないかと想はれる。」と非常に高い評価を加えている。
下掲の写真は昭和16年頃の作、新宿のばんやきボルガの高島茂旧蔵で、ボルガの棚上に置かれていたもの。木地の形、ロクロ模様は非常にこなれていて、あるいは木地とロクロ模様は治助によるものかも知れない。
〔21.7cm(昭和16年)(橋本正明)〕 ボルガ高島茂旧蔵
下掲は昭和16年作で名和コレクションにあったもの。胴底に23歳の記入がある。
〔21.2cm(昭和16年)(西田記念館)〕 名和好子旧蔵
下掲は西田峯吉蒐集品、昭和17年の作。
〔21.2cm(昭和17年3月12日)(西田記念館)〕 西田コレクション
名和、西田旧蔵品は、おそらく木地描彩ともに金一の作であろう。金一のロクロ模様は、治助に比べると、墨のロクロ模様が重たく、波線も軽やかに踊っていない。一方で、面描は若々しく愛嬌を含む。
橘文策が将来を嘱望していたにもかかわらず、数え年27才でなくなったのは残念であった。
若くしてなくなったので残る作品も少ない。
現在は金一の孫の阿部国敏が、阿部治助の型を継いでいる。
〔系統〕 土湯系松屋系列
〔参考〕