平賀忠(ひらがただし:1937~2000)
系統:作並系
師匠:小林誠太郎/平賀謙次郎
弟子:
〔人物〕 昭和12年9月28日、宮城県作並の平賀多蔵の長男に生まれる。父多蔵は昭和16年に出征、18年にガダルカナルで戦死したので、父から木地を習う機会はなかった。
昭和28年広瀬中学校卒業、その年17歳で山形の小林誠太郎について木地を学んだ。昭和31年10月に誠太郎のもとを離れ、作並の叔父平賀謙次郎の店で木地を挽いた。昭和32年より、平賀謙次郎に倣ってこけしを作り始めた。昭和42年に独立し、謙次郎方の隣に自分の工場を設けて開業した。
平成12年12月7日没、行年64歳。
〔作品〕 こけしの製作は昭和32年頃から始めた。当初は戦後の謙次郎を写していたため、表情の甘い、胴の太いこけしを作っていた。
昭和41年頃より、祖父謙蔵の型を作るようになり、また父多蔵の型も作るようになった。
多蔵・謙蔵の古型を復元した細胴のこけしは新鮮で、印象の強い作品だった。
一般の観光客の土産には、胴の細いものは倒れやすいのであまり売れない。そのため作並の工人は、胴を太くしたものを売店に並べる傾向があるが、友の会などの頒布や、こけし専門店の注文には、昔ながら古式の細胴を作った。
〔右より 24.5cm、16.1cm(昭和46年7月)、25.3cm、15.8cm(昭和46年3月)(橋本正明)〕多蔵型 左2本は東京こけし友の会の頒布
〔系統〕 作並系