小林忠次郎

小林忠次郎(こばやしちゅうじろう:1932~1999)

系統:山形系

師匠:小林清蔵

弟子:

〔人物〕 昭和7年2月18日山形市六日町の木地師小林清蔵の二男に生まれる。中学生のころから父清蔵について木地を修業、昭和19年から3年間は足踏みロクロ、昭和22年以降は動力ロクロとなった。山形中央高等学校を卒業すると、6歳年長の兄誠太郎らとともに清蔵の工場で働いた。この時期は新型や玩具が中心でこけしはほとんど作っていない。父清蔵の死後、昭和38年に山形市南町に新居と工場を建てて独立開業した。昭和44年に伝統こけしの製作を始めた。製作を始めるにあたっては父清蔵の古品を十分研究していたので、形態・描彩ともに、初作から完成度の高いものであった。平成元年4月に市内南二番町から半郷に移転。土産店「一望庵」開業した。平成11年11月1日没、行年68歳。

〔作品〕 昭和44年に作り始めた清蔵型は、正末昭初の清蔵の雰囲気をよく出した秀作であった。このあと昭和50年代にわたって、白胴の明治型などいくつもの清蔵の型を研究して作って行ったが、それぞれ現物の作風を十分咀嚼して取り組んでおり、破綻のない仕上がりであった。この時代の作例は〈山形のこけし〉に多く紹介され、高く評価されている。ここにあげる写真は昭和44年5月のほぼ初作に近い作品。

〔24.5cm(昭和44年5月10日)(橋本正明)〕
〔24.5cm(昭和44年5月10日)(橋本正明)〕

昭和55年1月東京の備後屋で開催された「古作こけしと写し展」には植木昭夫蔵の小林清蔵の写しを出品した。

〔右より 29.3cm、18.0cm(昭和55年)(橋本正明)〕小林清蔵型 こけしの会「原作と写し展」
〔右より 29.3cm、18.0cm(昭和54年)(橋本正明)〕小林清蔵写し こけしの会「古作こけしと写し展」

昭和50年代のたつみ(第4次 三鷹台時代)では忠次郎の清蔵型やその兄誠太郎の倉吉型がシリーズで頒布された。


〔24.8cm(昭和57年)(橋本正明)〕 たつみ頒布 清蔵型

〔伝統〕 山形系。 小林倉治-倉吉-清蔵-忠次郎と続く系譜。

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