村上蔵吉

村上蔵吉(むらかみくらきち:1895~1928)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤善八

弟子:

明治28年、宮城県刈田郡円田村平沢の村上庄五郎次男に生まれた。明治40年13歳の時、遠刈田の佐藤善八に弟子入りし、5年間木地を習った。師の善八は父庄五郎の義兄にあたる。その後及位の佐藤文六の工場、肘折の最上木工所、湯田の小林木工所等を経て、大正15年頃岩手県気仙郡盛町(現在の大船渡市)駅前で独立開業した。湯田時代には蔵吉はこけしを作っていたと丑蔵は語っていた。しかし昭和3年3月11日、脳溢血のため急逝した。若干34歳の若さであった。弟子はいない。こけしは作ったが、作品は発見されていない。妻とも江は遠刈田の佐藤寅治の娘で、師匠善八の姪(妹よいの子)に当たる。長男拓也は東京で石工となり、次男玉次郎は遠刈田の佐藤護に木地を習い、仙台で開業した。なお名前を倉吉とする文献があるが蔵吉が正しい。
昭和36年に次男玉次郎が蔵吉型の復元作を作ったことがあり、〈こけし辞典〉に掲載されたが丑蔵の文六型を真似たものと紹介された。玉次郎は蔵吉型として作ったものである。また平成3年にも玉次郎は仙台こけし会の薦めで蔵吉型の製作を再開した。


村上玉次郎の蔵吉型 平成3年

〔参考〕

  • 村上玉次郎:「蔵吉型こけしの復元について」〈ばんかき・106〉(平成2年10月)
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