村上元吉

村上元吉(むらかみげんきち:1894~1966)

系統:山形系

師匠:村上某(元吉の養父)/小林吉太郎

弟子:黒田精四郎/村上健一

明治27年ころ、山形市に生まれた。石沢角四郎によると、周蔵という兄がおり、岡崎栄治郎の山形時代の弟子であったという。小林吉三郎によると、明治44年ころ、大火の直前にメッカチの丑さんという木地師が小林家に職人として働いていたが、このときメッカチの丑さんを訪ねてきた職人が村上元吉の叔父であったという。この叔父は京都の新撰組の残党で、東京でメッカチの丑さんと木地を修業した間柄であったという。やがて山形市鉄砲町で開業、その後元木に移り木地を続けた。村上元吉はこの叔父の養子であった。黒田うめのの夫精四郎は元木時代の元吉の弟子で、昭和初めに元吉と共に米沢市に移った。
元吉は、米沢で小林吉太郎の下で仕事をしていたが、昭和16年から航空会社分工場の木工所に入り、木管を専門に挽いた。昭和41年米沢市で没した。
息子の健一が、その後米沢市通町で新型の木地を挽いていた。
村上元吉は、こけしも昔作ったといわれるが、詳細は不明である。小林吉太郎の影響下で作ったとすれば山形系であろう。また兄周蔵から継承していれば蔵王高湯系だった可能性もある。

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