渡辺定巳

渡辺定巳(わたなべさだみ:1917~1994)

系統:土湯系

師匠:渡辺等

弟子:渡辺忠雄

〔人物〕 大正6年3月8日、福島県土湯の山根会津屋渡辺治作、イクの次男に生まれた。祖父は金作、曽祖父は渡辺和右衛門である。父金作は林業に従事し、箆や下駄を作ったが、特に箆作りの名人といわれた。定巳は昭和3年3月上洛尋常小学校卒業、父の業を継いでいたが、昭和42年1月より弟の等について木地を修業、43年3月よりこけしを製作し始め、7月鹿間時夫のすすめにより粂松型と米古型を、9月由吉型を作った。それぞれの型は一応成功した。9月作の米吉型と由吉型はこけし夢名会の第二回頒布品となった。昭和46年4月から娘婿の渡辺忠雄が弟子となって、こけしを作るようになった。平成6年4月17日没、行年78歳。

昭和43年夏

昭和43年夏

〔作品〕 最初の復元諸作は戦前の古風さもある程度再現したよい出来だった。その後、由古型と米古型をつきまぜて自己流に化したような、きれいで可愛いらしいこけしを完成させたが、次第に土湯一般型に変わっていった。初期に作り始めた頃、家族もこけしに興味を持って、彼の木地に妻りん、長女ゆう子も時々描いたことがあった。このほうは商品という意識がないため素朴な稚拙味のある作風であった。注文に応じ、気安く作る職人気質を持っていたので、時に思わぬ佳品を作ることがあった。

〔21.5cm由吉型(昭和43年9月)、17.7cm米吉型(昭和43年9月)、 19.0cm粂松型(昭和43年7月)(橋本正明)〕
〔右より 21.5cm由吉型(昭和43年9月)、17.7cm米吉型(昭和43年9月)、 19.0cm粂松型(昭和43年7月)(橋本正明)〕

後年は弟の等の影響もあったも思われ、規格的なロクロ模様と顔を描くようになった。


〔30.9cm(昭和55年4)(高井佐寿)〕

〔伝統〕土湯系。復元作は湊屋系列。本人型は土湯一般型。娘婿の渡辺忠雄があとを継いでいる。

〔参考〕山根会津屋の系譜

山根会津屋系図(渡辺格調査)

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