松橋良幸

松橋良幸(まつはしよしゆき:1923~)

系統:独立系

師匠:鈴木昭二

弟子:

〔人物〕大正12年ころ秋田県北秋田郡阿仁町比立内に生まれる。阿仁町はマタギの里としても知られる。15歳の時に骨膜炎にかかり右足が不自由になり、またその翌年には中炎によって耳に障害を持つようになった。そこで手に職をつけることを考え、郵便局の自転車修理から初めて、自転車の技術一般を習得し、やがて自転車技術検定二種の試験に合格した。そこで昭和17年20歳で独立して自転車店を開業し、以後この業を続けた。
昭和27年ころ仙台の鈴木昭二が農村指導員として阿仁町に来て、近所で親しくしていた松橋久馬の家で木地を挽いていた。昭二はこけしも作ったので、それを見ていた松橋良幸は自分も作りたくなって、木地の技術を昭二に習った。昭二は1年ほどで仙台に帰ったので、こけしの描彩までの指導は受けなかったが、昭二の描法を思い出し、また自分の創意も加えてこけしを製作するようになった。
自分の趣味として20年ほど作っていたが昭和47年頃から本格的に商品として作るようになった。
既に亡くなっているというが、没年月日は不詳である。現在では比立内の自転車店も残っていない。

松橋良幸(昭和52年)  出典:あきた(通巻181号) 

〔作品〕鈴木昭二からの伝承であるが、こけしの描彩等は自分で工夫した部分が多い。知人の松橋久馬はこけし愛好家でもあったので、久馬宅で見たこけしも参考にしたようである。
下掲写真の良幸のこけしは、胴には松に昇る朝日などが描かれていて、大湯でこけしを作った奈良靖規の描法に近い。靖規の木地は奈良吉弥の挽いたものがあり、吉弥も良幸と同様に鈴木昭二に木地を習っているが、描法についての関係はわからない。同じ秋田の作者である奈良靖規のこけしを参考にしたということだけかもしれない。


〔 18.5cm(昭和60年頃)(高井佐寿)〕

〔伝統〕独立系
技術は仙台の鈴木昭二について学んだが、こけしは昭二の祖形である胞吉型を継承せずに、独自の型を製作した。

〔参考〕

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