志田八郎

志田八郎(しだはちろう:1936~)

系統:蔵王高湯系, 鳴子系

師匠:志田菊麻呂

弟子:

〔人物〕昭和11年1月11日、山形県西村山郡西川町大井沢中村の志田菊麻呂、わかよの六男に生まれた。学校を卒業後、建築業の仕事に就いて、昭和30年5月12日佐藤やえのと結婚した。昭和50年より父の菊麻呂の勧めで足踏み轆轤にて木地の修業を始めた。昭和55年頃より大工仕事の合間に木地も挽くようになり、この頃よりこけしも作った。昭和53年から55年にかけてこけしを近くの店やドライブインの注文で製作したが、この時期の製作は少量である。
本格的に作り出したのは、昭和34年に生まれた次男の菊宏が、昭和60年1月に独立してからである。これ以降の作品は殆ど菊宏が動力轆轤で挽いた木地に描彩している。菊宏は、昭和55年1月から5年間、米沢の高崎祐一に弟子入りして修業し、昭和59年12月30日に大井沢に帰郷して独立した。息子菊宏の作品に触発され描彩のみ復活したのが実情であった。
復活作は〈伊勢こけし会だより・26号〉(昭和60年6月16日発行)の新人紹介欄に、こけしの写真入りで掲載されている。その後、名古屋こけし会第139回例会で初頒布され、〈木でこ・123号〉(昭和60年11月10日)の初頒布工人の紹介の中で経歴とこけしが掲載された。
八郎は平成7年に建設業の仕事は定年退職し、その後は農作物の作業をしながら悠々自適の生活を送っている。令和元年5月より孫の楓もこけしを製作しているので、親子3代でこけしを作っている。只し八郎は元来こけしで生活していないので製作量は少なく、高齢とも相俟って気の向いた時に筆を取っている。


〔左より 志田菊宏、八郎、やえの 平成30年6月22日〕 

〔作品〕基本的には志田菊麻呂より継承したこけしを作る。本業の傍らの製作なので、製作数は多くはない。


〔右より、24.3cm(昭和60年4月)菊麻呂型、18.2cm(平成21年6月)五郎八型アーモンドアイ、18.3cm(平成21年6月)大正型、18.2cm(平成21年3月)大正型、18.2cm(平成24年8月)大正型、18.2cm(令和元年10月)五郎八古型、18.2cm(令和2年7月)志田忠一型(中根巌)〕


〔21.2cm(平成20年)(橋本佳子)〕伊勢こけし会第109回頒布


〔19.7cm(平成21年)(矢田正生)〕

〔伝統〕蔵王高湯系・鳴子系

父の志田菊麻呂は志田五郎八について木地を習った後、蔵王高湯の岡崎長次郎にもついて技術を身につけた。五郎八は鳴子から来た大沼熊治郎や鳴子から来た他の工人の影響を受けてこけし製作を始めている。従って大井沢のこけしは鳴子様式のものと蔵王高湯様式のものがある。

 

〔参考〕

[`evernote` not found]