高橋みね(たかはしみね:1875~)
系統:鳴子系
師匠:高橋利四郎
弟子:
〔人物〕明治8年6月4日生。鳴子の高橋利四郎の妻。〈こけしの追求〉によれば「利四郎には子供がなく、没後約10年間、未亡人ミネが経営者となり、中村雷治が手伝って業を続け、こけしも作った」という。利四郎の没年は大正7年であるから、昭和初期まで中村雷治木地でみねの描彩の合作こけしが作られていたことになる。なお中村雷治はみねの姉の息子という。名前の表記「ミネ」は「みね」が正しい。みねの没年は不明。
みね没後、利四郎の系統は絶えたが、遠縁にあたる高橋吉記がその家督を継承した。ただし吉記は木地に関係していない。
〔作品〕大正末期(推定)に岩手県繋温泉で高橋みね名義で売られていたこけし(下掲)がある。
またこのこけしと同趣のものが国府田恵一蔵品中にもある。ともに頭はキナキナのように揺れるように仕上げられている。
中屋旧蔵のものに繋温泉高橋みねとあることから中村雷治木地でみねの描彩ということになっている。
ただし、みねのこけしが大正末期に繋温泉でどうして売られていたか等の経緯ははっきりしておらず、描彩などから大沼竹雄ではないかという意見もあって明確ではない。
いずれにしても大正期のキナキナ状の立ち子として貴重な作例である。
〔伝統〕鳴子系
〔参考〕
- 国府田恵一:こけし千夜一夜 第431夜:大沼誓の小寸2点