戦前に、東京市本郷区春木町3ー11(現在の文京区本郷3丁目38)で、加藤滋が経営していた郷土玩具店。「フジヤ」と書いた文献もあるが、正式の店名は「フヂヤ郷土玩具店」。
本郷三丁目から上野広小路へ向かう電車通り(現在の春日通り 都道453号)に面して右手、現在の本郷消防署の向かいにあった。大正中ころより同所で営業、昭和17年ころ新宿(現在の新宿区角筈1丁目2)に移ったが、昭和20年の戦災にあい、その後の消息は不明、蒐集家の加藤文成は、「その商いぶりは三五屋と同じで、珍品に属する古玩は店に出さず、二階にしまい込んで特定の人にだけ売った。古玩は三五屋よりフヂヤのほうが多かったという。しかし、昭和6年ころより三五屋のほうが優勢になり、昭和10年すぎになると店にはこれという品物がないようになった」と語っていた。
昭和11年に東京こけし会が設立されたときには、店主の加藤滋は設立時のメンバーとして参加していた。
〈愛蔵こけし図譜〉掲載の逸品には著者武井武雄画伯がフヂヤより購入したものが多い。胞吉6寸2分、広喜8寸3分、大正期作者不明(秋保)尺2寸、勝次6寸、新次郎7寸があり、これらは昭和2年9月の購入である。
〈愛蔵こけし図譜〉の豊治(右二本)とフヂヤで求めた広喜(左)
〈愛蔵こけし図譜〉の広喜はフヂヤからの入手。「昭和2年9月フヂヤの棚の一隅にほこりをかぶってゐたのですが、平顔が面白いと思って求めて帰り、作者不明で長らく拙蔵してゐたもの、ようやく近頃になって広喜と判ったわけです。8寸3分。」と〈愛蔵こけし図譜〉の解説にある。
武井武雄の一人娘三春が、父の生涯を温かい目で記述した〈父の絵具箱〉という本がある。
この本の中に武井武雄のこけし蒐集に触れた個所があり、本郷の通りの店として「フヂヤ郷土玩具店」のことが書かれている。
郷土玩具を集めるのに父は遠くの土地へわざわざ旅行したことは一度もなかった。当時、本郷の通りに素晴らしい郷土玩具をいっぱいおいている古い店構えの家があって、夕方になると母と二人で出かけてゆき、そこで相当たくさん手に入れていた。〈父の絵具箱〉