あやめ模様


佐藤英太郎の直助型 背面のあやめ模様

あやめ模様と称する描彩は、遠刈田系こけしの胴裏に描かれるのが最もポピュラーであるが、弥治郎、土湯(飯坂、川俣)、鳴子、津軽においても描かれることがある。
こけしに描かれた模様だけから、あやめであるか、菖蒲であるか、あるいは燕子花(かきつばた)であるかは明確ではないが、一般にこけし蒐集界ではあやめ模様と呼ぶことが多い。
あやめは、葉形が刀に似ていること、爽やかな香りを持つことから、邪気を祓うという呪力が期待され、衣装や漆器の蒔絵、陶器等の模様に取り入れられることが多い。燕子花は伊勢物語の八橋図などにも描かれ、画題としても親しみのある図柄である。


古伊万里などのあやめ模様

端午の節句の菖蒲湯などにも、子供の安全無事な生育の期待がある。菖蒲の読みが尚武に通ずることから男児の端午の節句で用いられるようになったが、本来は邪気を払うものとして幼児一般の息災を願うものであった。それゆえ幼児の伴侶となるこけしにもあやめは好んで用いられた。

こけしにおけるあやめ模様で特に重要なのは弥治郎である。弥治郎のこけしは佐藤東吉(佐藤栄治の養父、幸太の伯父)と佐藤常治(飯坂の栄治の師匠)が三住の木地師佐藤與四郎(遠刈田の佐藤茂吉の父友吉の従兄弟)が作っていた遠刈田のこけしを見て作りはじめたと言われている。この頃のこけしは全て手描きで、後の弥治郎のようなロクロ模様(頭部のベレー模様や胴のロクロによる色帯模様)などは、足踏みロクロ技術が導入された明治20年以降の手法である。
それ以前の手描き模様は、二人挽き時代の手法を知っている古老たちが描いたものによって推測することが出来る。
下掲は、佐藤伝内が二人挽き時代に祖母のとよや母のふよが描いていたこけしを再現したもの。このうちとよの描いた胴模様は襟の下にあやめ模様を描いている。ただし伝内自身は、祖母とよのこけしを思い出して描いたまでで、この模様があやめであることはもうわからなくなっていたかも知れない。


〔24.5cm(昭和15年8月)(西田記念館)〕 祖母とよのおぼこ


伝内の記憶による再現 右端4寸5分祖母とよの描法、左端5寸3分母ふよの描法

下掲は新山栄五郎が手描きの時代を思い出して描いたもの。栄五郎は「巻き絵(ロクロ色帯模様)ばかりのなかにたまにこうした手描きの物を入れておくとよく売れることがある」と何本かに一本はこうした手描きのものを作ったという。胴の模様はかなり様式化されてはいるがあやめである。
栄五郎の作り始めの頃は、母みわが栄五郎の木地に描彩していたというから、その頃の記憶による描彩であろう。


新山栄五郎 〔14.4cm(昭和13年頃)(橋本正明)〕

下掲は新山久治の母さとが描彩したこけし。胴裾模様は旭菊という人もいるが、外向きにカーブして描かれるのは、上掲の栄五郎と同様であやめの葉の名残であろう。
これがあやめであることがわからなくなると、さとの息子久治兄弟の時代には、これが胴上部の襟から続く和服の裾のように描かれるようになる。


新山さと 〔 14.2cm(明治38年ころ)(渡辺幸治)〕

下掲は飯坂の栄治、胴にははっきりとあやめ模様が描かれている。これがおそらく佐藤常治からの伝承で、三住から学んできたあやめ模様の原型かもしれない。


飯坂佐藤栄治〔 18.8cm(大正末期)(日本こけし館)〕深沢コレクション

佐藤常治から佐藤栄治に伝わり、飯坂では鯖湖の渡辺きんも、栄治の影響であやめを描くようになる。


鯖湖〔 11.5cm (こけし部分)、12.6cm(切り残しの台を含む)(大正7年ころ)(橋本正明)〕

このように見ていくと二人挽き時代の弥治郎の基本模様(スタンダード)はあやめであり、一人挽きが佐藤栄治や幸太によって導入されると、巻き絵(色帯)模様や重ね菊模様など多彩な描彩が生まれることとなった。おそらく、二人挽き時代はあやめ模様を中心とした標準様式が弥治郎全体で共有されていたのであろう。  
 一人挽き時代になると工人が個々に工夫を重ねることが出来、また木地屋の女房達の鎌先商いによる顧客への直接販売方式によって、個々の家の間での競争が生まれ、様式は多様化していった。
そうした一人挽き時代においても、下掲のように幾人かの工人たちはあやめ模様を部分的には残していた。


佐藤慶治のあやめ模様 (青柳英介蔵)


佐藤勘内の胴裏あやめ 模様(箕輪新一蔵)

鯖湖で職人をしていた佐藤勘内の弟子高野辰治郎も勘内風のあやめを書いたことがあった。また下掲のように佐藤伝内の弟子であった渡辺幸治郎も背面にあやめ模様を描いている。ただ勘内や幸治郎の背面のあやめは、一人挽きになった以後に遠刈田の裏模様を取り入れたものかもしれない。


〔23.6cm(大正末期)(高橋五郎)〕 天江コレクション

〔参考〕

  • 橋本正明:二人挽き時代の弥治郎〈木でこ・231〉(令和2年9月)
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