菊地久二

キナキナ作者と誤伝されたことがあるが、岩手県遠野駅前の木工所経営者でこけしの作者ではない。〈こけし這子の話〉に遠野として掲載され、製作人遠野駅前菊地久二として紹介されたが、作者は木工所で職人をしていた及川吉三であった。


〔右より 13.9cm、7.6cm(大正14年頃)(高橋五郎)〕天江コレクション 
左は〈こけし這子の話〉製作人遠野駅前菊地久二として紹介された及川吉三のキナキナ

菊地久二はもともと運送業であったが、遠野の豊富な木材を利用した木工業を起こすべくこの工場を開設し、岩谷堂から招いた及川吉三を職長として、徒弟の養成を進めようと考えた。製品は火鉢、盆、花筒など大物が主であったが、この地でもキナキナを盛んに作ったという。しかし、この工場も大正15年に閉鎖、及川吉三は岩谷堂へ戻った。久二の作品と言われるものは大正13年から15年まで木地を担当していた及川吉三の作品である。久二は木工場の閉鎖後、再び運送業に戻った。その後の消息は不明。

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