小林鶴次

小林鶴次(こばやしつるじ:生年不明~)

系統:独立系

師匠:

弟子:小林正吉/小林友次

秋田県登町の木地師。秋田県仙北郡生保内字宮ノ後の出身。木地師の系譜は不明。秋田市登町で独立開業。明治45年6月、亀治の養子正吉が、大正11年には亀治の次男友次が入門して木地を修業した。従来の文献では鶴次が兄で亀治が弟となっているが、戸籍では亀治は明治5年4月16日に小林勇治と仙北屋ミネの長男として生まれているので、鶴次が弟と思われる。
昭和7年に深沢要が角館カックラ棒を追求して平瀬貞吉にこけし製作を要請した。その時貞吉の木地は鶴次が挽いたものである。宮古の坂下権太郎を思わせる太いキナキナ風の形態であった。〈こけしの追求〉では小林鶴治と紹介されているが鶴次が正しい。生保内の小林一家に関しては田中舜二の現地調査報告が〔伊勢こけし・125〉に掲載されている。詳細の経歴は不明。

〔参考〕

  • 田中舜二:私信より〈伊勢こけし・125〉(昭和44年9月)
    「私信より」という題は川口貫一郎が小林正吉の調査を田中舜二に依頼し、その報告の返信を〈伊勢こけし・125〉に掲載したことによる。

〈伊勢こけし・125〉(昭和44年9月)

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