大沼勝三郎

大沼勝三郎(おおぬまかつさぶろう:1865~)

系統:鳴子系

師匠:大沼勝蔵

弟子:

慶応元年6月10日、鳴子大沼勝蔵の長男に生まる。木地は父勝蔵について学んだ。明治22年ころより3年間一家を挙げて瀬見に渡り、瀬見橋の畔で木地屋を開業した。その後、鳴子へ帰り旅館ゆさやの隣で木地を開業したが、明治30年代に北海道へ渡り、明治41年に上川郡旭川町五条通へ転籍した。その後の消息は不明である。
こけしも作ったといわれるが、遺品は残っていない。こけしの後継者も知られていない。勝三郎の名は深沢要〈こけしの追求〉に庄司永吉よりの聞書として紹介されたが、その内容は父勝蔵のことであり、永吉による名前の記憶違いであったと思われる。

〔参考〕

  • 橋本正明:大沼勝蔵と勝三郎〈木でこ・30〉(昭和45年2月)名古屋こけし会

 

[`evernote` not found]