岡村豊太郎(おかむらとよたろう:1908~1993)
系統:蔵王高湯系
師匠:岡村豊作
弟子:岡村安雄
〔人物〕 明治41年4月17日山形県西田川郡大山町鍛治町の木地業、岡村豊作長男として生まれる。尋常小学校卒業後に北海道函館市へ行き加藤龍初につきダライバンを習う。函館時代は、カムチャッカでのサケ、マス漁の木浮を桐材で盛んに挽いた。昭和6年頃大山へ帰郷し豊作とともに木地業に従事した。湯の川温泉の源泉を約2㎞離れた温泉街まで温度が下がらないように引湯するのに、カラ松で工夫して木管を作り特許を得た。昭和15年に豊作が没したが、戦時中の2年程度鶴岡の東北軽車両に勤めた以外は昭和50年頃までロクロを回し、その後は工場の経営を長男安雄に任せた。豊作型のこけしを作ったのは昭和30年~35年頃の一時期であり、昭和30年に収集家の大浦泰英が訪ねた時はこけし以外に燭台等の木地製品を店の棚に並べていたという。その後は昭和44年夏に古木地に数本描いた程度で休止した。なお安雄の話に依ると昭和30年代の阿部常吉の作で極僅かではあるが豊太郎の挽いた木地があるという。平成5年1月14日没、行年86歳。
岡村豊太郎 昭和35年5月 撮影:大浦泰英
〔作品〕 木地のフォルムは共通しているが。頭部の描彩はおかっぱのものと温海の阿部常吉のような蛇の目・前髪のものの2種類ある。胴は初期の本間儀三郎も描いた振り袖の襟と帯に正面菊または横菊の描かれた模様が2種類ある。蛇の目や裾の線は全て手書きである。
〔伝統〕 蔵王高湯系としたが、正確には白畑重治・本間儀三郎と同門であり独立系である。後継者には長男安雄がいるが、木地のみでこけしの描彩までは行わない。