佐藤英裕(さとうえいひろ:1951~)
系統:肘折系
師匠:佐藤丑蔵/佐藤文男
弟子:なし
〔人物〕 昭和26年2月16日、遠刈田新地の木地業佐藤文男、よしの長男として遠刈田新地に生まれる。昭和41年遠刈田中学校卒業後、祖父丑蔵、父文男につき木地修業。以後通信教育を受けながら自身のこけしや丑蔵の木地下を挽いた。昭和46年から50年の5年間東京で別の仕事をしていた時期もあったが、結婚を期に新地へ帰郷し再び木地業に就いた。妻女君子も昭和55年頃からこけし製作を始めた。
昭和61年に父の文男が亡くなったが、その後も新地の「丑蔵庵」(工房と売店)を経営し、こけし製作を続けている。
佐藤英裕 平成26年5月24日
〔作品〕 下掲は昭和41年4月に初作として都立家政のたつみで扱われたもの。胴背には15歳の記入がある。筆は走っていないが、ややグロ味もあって面白い仕上がりになっている。
昭和41年6月の初期の作は〈こけし美と系譜〉図版60にて紹介された。上掲よりは整ってきたが、のびのびとした佳品であった。
下掲の二本は17歳の作、筆が慣れてくるにつれてグロ味は次第に納まった。
〔15.8cm、16.2cm(昭和43年2月)(橋本正明)〕 17歳の作
昭和50年再開時のものは〈伝統こけしポケットガイド〉(昭和52年版)掲載されており、丑蔵が小寸に描く「ポツ目」をこの時期より描いている。昭和50年代半ばより目の上瞼と下瞼を離して描くようになり目が以前よりも大きい印象のものになったこと、8寸以上の胴裏に描く模様をあやめから梅にそれぞれ変化した。
〔右より 23.6cm(昭和45年)、29.1cm(平成13年)(高井佐寿)〕
上掲左のように、平成に入ってからは胴の菊模様を晩年の文男のように崩して描くようになり、さらに平成15年以降は面相以外の手書きの箇所が細くなりつつある。
〔右より 15,4cm、23,8cm(平成31年)(橋本正明)〕
〔伝統〕 遠刈田系吉郎平系列
〔参考〕