大沼健伍(おおぬまけんご:1937~2007)
系統:鳴子系
師匠:大沼健三郎
弟子:大沼美和子/大沼正人/鹿島秀悦
〔人物〕 昭和12年2月15日、宮城県鳴子の木地業大沼健三郎の長男に生まれる。鳴子中学校卒業後、菊地某という新型こけし作家の描彩を行った。昭和30年19歳の時、父健三郎について木地を学び、こけしの製作も始めた。その後、一時鳴子の及川商店の職人を勤めた。その関係からか、昭和30年代初期の健三郎のこけしがかなり後年まで及川商店で売られていた。上鳴子の自宅で父健三郎とともにこけしを作り、昭和58年に父健三郎が亡くなった後も継続的に製作を続けた。昭和50年頃より妻女の美和子にも描彩の指導を行い、また鹿島秀悦にもこけし製作の指導を行った。昭和58年からは長男の正人に木地を指導を始めた。美和子、正人もこけし製作を行うようになった。平成19年12月21日没、行年71歳。
こけしの署名には「健吾」と書く。
〔作品〕 最初に〈こけしガイド〉で作者として紹介された。昭和30年代の健三郎の作風を踏襲したものであった。
昭和43年に高円寺の民芸店「ねじめ」より作り付けの細胴のこけし二本組みが売り出されたが、非常に古風な味わいがあり蒐集家に注目されるようになった。昭和43年から44年にかけて「ねじめ」では健伍、健三郎のほか、大沼秀雄、大沼力、秋山耕一郎等の小寸佳品を多く扱った。
その後、健伍は細胴のバランスで8寸、7寸等、嵌め込みのものも製作、いずれも健伍独特の趣があって好評であった。
〔右より 22.3cm、19.7cm(昭和47年)(橋本正明)〕
昭和50年代になると、下掲右端のように細胴型のバランスがやや極端になり、安定感を欠く傾向があった。弟子の鹿島秀悦はこれをさらに極端にしたものを作った。
〔右より 24.0cm(昭和55年)、30.0cm(昭和60年)(高井佐寿)〕
〔系統〕鳴子系岩太郎系列