我妻庄三郎(あがつましょうざぶろう:1897~)
系統:遠刈田系
師匠:吉田峻治
弟子:
遠刈田のこけし工人我妻信雄の父。
明治30年12月30日、宮城県刈田郡遠刈田の我妻庄吉の二男に生まれた。父は篭山金山の人夫頭で後
に旅館を経営した。大正6年吉田峻治の木工所で行なわれた宮城県主催の木地講習会の受講者の一人。講師は吉田峻治で、木地玩具のアヒル・自動車・こけし等を指導うけた。木工所が解散したのち、大正7年7月より山形県及位で佐勝文六が操業していた駅前工場で働き、盆・椀・茶托等を作っ
たが、翌大正8年1月に遠刈田へ帰郷した。その後一時遠刈田の高藤商店で木地職人となり、玩具類
を作っていたが、聞もなくやめ、以後木地から遠ざかった。遠刈田の古い事に詳しかった。
没年月日不詳。
庄三郎のこけしは確認されていない。三男の信雄は佐藤守正について木地を修業し、こけし工人となった。