我妻芳夫(あがつまよしお:1932~2004)
系統:遠刈田系
師匠:佐藤好秋/我妻吉助
弟子:
〔人物〕昭和7年5月8日、宮城県柴田郡川崎町青根の木炭製造業我妻市三郎、せよの六男に生まれる、我妻市助は長兄にあたるが、昭和16年に海軍に入隊し昭和19年6月1日戦死した。
昭和21年尋常高等小学校を卒業後、兄市助の師でもあった遠刈田新地の佐藤好秋について木地を学んだが、約3ヶ月でやめた。昭和24年からは白石にいた伯父我妻吉助について7年間修業を積んだ。吉助が仙台に転居するに合わせて芳夫も同行し、仙台で働いた。昭和33年27歳で吉助のもとから独立し、青根で開業した。その後、遠刈田の大宮正男の工場の職人として働いた。
昭和42年に青根に戻って木地業を開業し、こけしの製作も続けた。
平成16年9月16日没、行年73歳。
〔作品〕昭和30~40年代のこけしは、下掲のこけしや、〈こけし辞典〉の写真に掲載されているように青根の観光土産品のような表情のこけしであった。
昭和50年代以降になって、下掲のこけしのように吉郎平系列らしい表情のこけしになった。
〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列
〔参考〕