赤湯

山形県南陽市(旧国出羽国、明治以降は羽前国)にある温泉。
開湯は約900年前、源義家の弟、源義綱が発見したとされる。家臣達がこの温泉で傷を癒した際、傷から出た血でお湯が真っ赤になったことから、赤湯と呼ばれるようになったという。共同浴場の大湯は、1312年に弘法大師によって開かれたという伝説を持つ(下図の絵葉書はその大湯端)。
江戸時代は米沢藩の湯治場として栄えた。また、藩主専用の御殿湯も設けられた。文政2年(1819年)に当時隠居していた上杉治広の中風症が再発したため、同じく隠居していた上杉治憲とともに湯治に来ている。

赤湯温泉絵葉書

赤湯温泉絵葉書

昭和3年発行の〈こけし這子の話〉でこけし産地として紹介された。その解説に「製作人は3, 4年以前まで営業していたそうですが、最近は見受けられません。同こけしは5年前同地より求めてきたものです。(山形県東置賜郡赤湯町)」とある。
写真から見るとこの作者は小林吉太郎であろう。
赤湯が製作地ではなく、米沢にいた吉太郎が、大正13年ころの機業不況のため、主に作っていた機業関係の木地製品の需要が落ちたので、やむなくこけしを作り、赤湯に出したものとみられる。

赤湯では他に弥治郎系のこけしも売られたというが、詳細は不明。赤湯はいわゆるこけし産地ではなく、温泉客土産として仕入れたこけしが売られていたにすぎないと考えられている。

〈こけし這子の話〉で紹介された赤湯こけし
〈こけし這子の話〉で紹介された赤湯こけし

山形県南陽市赤湯温泉
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