熱塩温泉は、阿賀野川支流押切川に沿って、福島県喜多方市熱塩加納町(旧国陸奥国、明治以降は岩代国)にある温泉。塩分の濃い高温泉で、熱塩の名前の由来でもある。また、よく温まることから、子宝の湯の異名も持つ。
かつては日中線熱塩駅が最寄り駅として存在したが、いまは磐越西線喜多方駅よりバスで約25分(日曜運休)。
温泉街の一番奥に護法山示現寺がある。この寺は、平安初期(大同2年)、前年の磐梯山の噴火を鎮める為に五峰山慈眼寺として僧空海が建立したもの。もともとは真言宗の寺であったが、長い間に荒れ果ててしまったらしい。今から約600年前、栃木県那須の殺生石を鎮めたことで知られる源翁禅師は奥州で曹洞宗を広めていたが、その拠点として護法山示現寺として再興したと伝えられる。奥州各地に三十七ケ寺の末寺を有する総本山。本堂の左奥には我が国の福祉活動の先駆者「瓜生岩子」の像もある。
この地で、大正15年に弥治郎より移ってきた佐藤幸太五男春二が木地業を開業した。
佐藤春二は明治36年3月2日弥治郎生まれ。14歳より父幸太について木地を修業した。末子であったため木地は主に兄の味蔵より手ほどきを受けたと言う。
大正15年に、喜多方の知人から温泉地熱塩に土産店が無い事を聞き、熱塩に移って土産店を開くことを決心した。大正十五年より亡くなるまで間断なくこけしを作り続けた。 戦後は村会議員を三期勤めるなどこの地の名士として人望も厚かった。晩年はこけしを作る傍ら、魚釣りなどを楽しんだという。
昭和57年春二が没してから、養女佐藤セチ子が後を継いでこけしを一時期製作したが、セチ子も平成15年に亡くなったので、いま熱塩でこけしを作る工人はいない。
福島県喜多方市熱塩加納町熱塩甲795