阿部勝英

阿部勝英(あべしょうえい:1924~1989)

系統:土湯系

師匠:阿部一郎/阿部シナ

弟子:阿部敏英

〔人物〕 大正13年2月27日、福島県松川町水原字脇ノ久保43に生まる。農業茂木勝平・ハンの三男。昭和13年3月水原尋常高等小学校卒業。埼玉県川口市領家町の川口化学工業㈱に入社、20年2月満州牡丹江145部隊技術兵として入隊、20年8月ソビエト、サンガラドックに抑留、23年11月復員、25年3月土湯松屋に来、27年9月8日阿部治助の嫁未亡人シナの入婿となる。一子敏英がある。27年9月22日治助が亡くなったため、治助から木地の教えは受けていない。もっぱら土産物屋松屋商店の経営に当たってきた。43年2~4月阿部一郎につき木地修業、描彩はシナの指導による。商店主のため木地挽きは余暇にやるので、常時多数を作ることはなかった。平成元年12月29日没、行年66歳。

〔作品〕 初期のころのものには形態のバランスとろくろ線に不安定なものがあった。43年5月に鹿間時夫の治助28.7cm(〈こけし美と系譜〉掲載の物)の写しを作り、6月以降はそれを自己流に消化して自分の型を完成させた。鹿間時夫は〈こけし辞典〉で「表情に鋭さと気品があり、ろくろ線は余白を生かし冗調に流れず、土湯の古格をしのばせるに足る情味がある。治助の大らかさや泥臭さはないにしても、治助の俤は十分にしのばせる。」と評価した。その後蒐集家の勧めにより各種の治助の写しを作るようになった。

〔20.9cm、15.1cm (昭和43年7月)(橋本正明)〕 鹿間蔵治助の復元
〔20.9cm、15.1cm (昭和43年7月)(橋本正明)〕 鹿間蔵治助の復元

〔26.2cm(昭和46年)、31.5cm(昭和54年)、22.2cm(昭和50年)(橋本正明)〕 中央は「こけし古作と写し展」で展示頒布されたもの〈木の花・24〉。 展示は55年1月、製作は54年。
〔26.2cm(昭和50年)、31.5cm(昭和54年)、22.2cm(昭和52年)(橋本正明)〕
中央は「こけし古作と写し展」で展示頒布されたもの〈木の花・24〉。
展示は55年1月、製作は54年。

〔伝統〕土湯系松屋系列。

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