佐久間虎吉(二代目)(さくまとらきち(にだいめ):1914~1985)
系統:土湯系
師匠:佐久間虎吉(初代)
弟子:
〔人物〕 大正3年6月12日、福島県伊達郡川俣町日和田の木地業佐久間虎吉の長男に生まれる。本名は義雄。土湯湊屋出身の佐久間浅之助は祖父、由吉、粂松、米吉、七郎は伯父にあたる。
昭和4年16歳より父虎吉について木地の修業を開始、以後父とともに機業用木管を主に製作した。昭和17年12月佐久間久吉長女アサ子と結婚。昭和21,2年頃からは父虎吉が描くこけしの木地も挽くようになった。
昭和34年頃より、父虎吉の指導を受けてこけしの製作を行うようになり、本名義雄の名前で発表を始めた。昭和38年に父虎吉が没したので、二代目虎吉を襲名した。
身体が弱かったため多作ではないが、湊屋の伝統を継承する堅実な作風のこけしを作り続けた。昭和60年9月10日、72歳で没した。
佐久間義雄(二代目虎吉)とアサ子夫妻 昭和40年
左:二代目佐久間虎吉 右:渡辺恒彦 昭和54年
〔作品〕 最初の写真による紹介は、昭和36年版の〈改訂こけしガイド〉、初期義雄名義の作品は〈こけし 美と系譜〉に昭和37年の作例がある。
〈こけし辞典〉によると、昭和38年以前の義雄名義のこけしは、作品数が少なく、全部で100本程度であろうという。
昭和43年7月にたつみの森亮介が久松保夫蔵の初代虎吉(戦前昭和15年作)二本組みの復元を依頼し、その特頒を行った。この時は原物を持参しての復元依頼であったため、きわめて忠実な写しが完成し、これ以降の二代目虎吉の作風に良い意味での影響を与えた。おそらく戦前の初代のピークに近い時期の作風を体得したのであろう。なお、〈こけし辞典〉〈ふくしまのこけし〉ではこの復元を昭和44年としているが、昭和43年が正しい。
以後、たつみの依頼で、蒐集家が持っていた各種の初代虎吉戦前作を復元した。
また初代虎吉型のほかに、祖父浅之助型、伯父の由吉型を製作したこともある。
〔右より 18.4cm、13.8cm(昭和43年7月)(橋本正明)〕
久松保夫旧蔵の初代虎吉復元 たつみ頒布
〔24.0cm(昭和46年4月)(橋本正明)〕 東京こけし友の会頒布
〔右より 23.2cm(昭和43年12月)、22.2cm(昭和48年2月)(橋本正明)〕
左は佐久間貞義蔵の初代虎吉花模様の復元
〔系統〕 土湯系湊屋系列