上ノ山

上ノ山温泉 中村屋 絵葉書

上ノ山温泉 中村屋 絵葉書

上山市は山形県南東部にある人口約3万3千人の市。羽州街道の宿場町として栄え、現在は温泉で知られる。城下町・宿場町・温泉街の3つを兼ね備えた都市は、全国的にも珍しいとされる。街道沿いの下町に、湯町、新湯、下湯、河崎、高松、葉山などの湯街が栄えた。
折口信夫の「山の湯雑記」には「蔵王山の行者が、峰の精進をすましての第一の下立ちが、此(最上)高湯だとすれば、麓の解禁場が上ノ山に当るわけである。其ほど繁昌して居て、亦年久しい湯治場だろうのに、未に新開地らしい所がある。青い芝山の間に、白い砂地があって、そこが材料置場になったりして居る。思いがけない町裏から三味線の音が聞えて来たりする。」と紹介されている。

明治17年上ノ山に生まれた荒井金七は、明治30年ころ蔵王高湯の岡崎久作の弟子となり、主に久作弟栄治郎から木地を学んだ。年季明け後、明治36年ころ上ノ山に戻り、木地を開業、こけしも製作した。明治29年上ノ山の茅葺職人の家に生まれた木村吉太郎は、明治45年17歳の時荒井金七の弟子となって木地挽きを学んだ。大正7年23歳独立して開業。金七、吉太郎は以後継続的に木地を挽きこけしを作り続けたので、大正期の比較的古い作品も残っている。金七は大正末の〈日本土俗玩具集・第二輯〉、吉太郎は昭和3年刊の〈こけし這子の話〉でそれぞれ既に作者として紹介されている。
また戦前、昭和10年代に千田美千雄という名義のこけしが上ノ山産として紹介された。作者の詳細は不明であるが、木村吉太郎や米沢の小林一家の工人に木地のみを注文して描彩したものと思われる。上ノ山の観光土産用に作られたものであろう。
戦後木村吉太郎とその長男祐助がこけしを製作していたが、両名とも既に没しており、、祐助の長男吉一がいるがあまり多くは作っていない。

上ノ山温泉 絵葉書

上ノ山温泉 絵葉書

上ノ山温泉 絵葉書

上ノ山温泉 絵葉書

山形県上山温泉

 

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