佐藤富雄

佐藤富雄(さとうとみお:1928~2016)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤文助

弟子:佐藤今朝吉

〔人物〕 昭和3年3月19日、遠刈田新地佐藤文助・よしの長男として生まれる。昭和16年尋常小学校卒業後、文助につき木地修業。糸巻き・コマ類から始めて、こけしを作ったのは鈴木凡太郎注文の豆根付けが最初である。昭和19年から終戦までは、船岡の軍需工場で働いたため休業し、戦後は再開して父文助、弟富治海らと共に遠刈田温泉にて営業を続けた。昭和33年ころ佐藤今朝吉にこけしの手ほどきを行なった。職人として従兄弟の大旗英雄等を短期間雇った時期があるが、昭和52年に文助が亡くなった後は一人でロクロを回していた。目の古傷が悪化し平成20年頃より休業していた。
平成28年4月24日没、行年89歳。

佐藤富男 池袋西武実演 昭和46年1月

佐藤富雄:平成26年3月1日

佐藤富雄:平成26年3月1日

〔作品〕 戦前の活動は短期間であるが、その作品としては前述の鈴木凡太郎からの注文のほか、麻布時代のたつみ・東京こけし会頒布の袖珍こけし等の小寸を比較的目にすることがある。作風は戦前戦後も通してその時代の文助を忠実に写してるが、前髪と鬢が文助と比較すると微妙に細く短い点で見分けがつく。昭和63年に遠刈田の工人組合で配付する染料の変化により以前の美しい色調は失われたが、平成元年に5寸の文助古作(昭和40年頃たつみで売られた文男の復元と同種のもの)を一時的に復元製作している。
なお、〈こけし辞典〉の富雄の項目に掲げられた図版のこけしは「自分のものではない」と本人は語っている。〈こけし辞典〉図版のこけしはおそらく我妻市助のものであろう。

〔右より、6.2cm、4.7cm、6.2cm(昭和22年6月)((橘文策旧蔵)〕
〔右より、6.2cm、4.7cm、6.2cm(昭和22年6月)(橘文策旧蔵)〕

〔15.4cm(昭和35年8月)(庄子勝徳)〕
〔15.4cm(昭和35年8月)(庄子勝徳)〕

〔9.1cm(昭和40年)(橋本正明)〕 東京こけし友の会10月例会お土産こけし
〔9.1cm(昭和40年)(橋本正明)〕 東京こけし友の会10月例会お土産こけし

〔24.5cm(平成12年)(高井佐寿)〕
〔24.5cm(平成12年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕 遠刈田系。血筋としては周治郎系列七蔵家だが、祖父の文平は茂吉の家より婿に入ってるため木地の系列としては吉郎平系列といえる。

 

 

 

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