菅原富蔵

〔人物〕明治32年(推定)山形県最上郡旧及位に生まる。13歳のとき、肘折から移ってきた佐藤文六の弟子となり、20歳て年期があけてからも、そのまま文六の職人をした。大正15年に院内には椀工場があって、柴崎丑次郎や大沼熊治郎… 続きを読む

仕送り制度

遠刈田において、木地職人と木地物販売業者(木地商)との間で取り行なわれた制度。 あらかじめ木地物の工賃を定めておき、木地商は職人たちに木地材料や木地用資材、動力等を提供し工賃制で生産させ、その代償として仕送り通帳を介して… 続きを読む

こけしのアルケオロジー

「アルケオロジー(archéologie)」とは本来「考古学」を意味するフランス語。ただフランスの哲学者ミシェル・フーコーが「知の考古学」などで「アルケオロジー」という言葉を使いだしてから、すこし特別の使われ方をするよう… 続きを読む

あやめ模様

佐藤英太郎の直助型 背面のあやめ模様 あやめ模様と称する描彩は、遠刈田系こけしの胴裏に描かれるのが最もポピュラーであるが、弥治郎、土湯(飯坂、川俣)、鳴子、津軽においても描かれることがある。 こけしに描かれた模様だけから… 続きを読む

岡崎代助

安政2年5月14日、羽前国南村山郡高湯村(現在の蔵王温泉)堀清八の二男に生まる。明治22年高湯の岡崎吉右衛門の長女つゆと結婚して婿養子となり家督を継承した。明治37年3月高湯中村屋の出身で養父吉右衛門の姪にあたるそでを養… 続きを読む

古緒里民芸店

昭和21年より昭和43年まで、福岡市薬院昭和通62にあった郡憲輔経営による民芸店。民芸品と郷土玩具やこけしを扱った。憲輔の先代から続く郡文園堂古書店(福岡市橋口町)内に昭和9年より、新たに玩具やこけしをならべて販売したの… 続きを読む

中村正夫

〔人物〕 昭和26年10月28日、秋田県鹿角郡十和田町大湯(現・鹿角市十和田大湯町)の農協職員中村勇・ミエの次男として生まれた。秋田県立十和田高校を卒業後、昭和45年に青森県十和田市休屋の(株)南祖庵に入社した。 休屋は… 続きを読む

小野寺常松

明治26年4月5日、秋田県雄勝郡三梨字清水川の小野寺小三郎長男に生まれた。小椋啓太郎の描彩者小野寺岩蔵とは血縁である。職業は塗師。若いころに鳴子へ修業に行き、そのまま転住した。大正9年に東京都南葛飾郡へ移り、半年後再び鳴… 続きを読む

佐藤長雄

〔人物〕大正15年11月11日、宮城県角田市の農業鈴木栄吉、みつせの四人兄弟の次男として生まれた。尋常小学校高等科卒業後に白石に出て自動車の電気関係の仕事に従事していた。終戦前に志願して兵役に服した。復員後再び電気の仕事… 続きを読む

九十九豊勝

明治27年7月17日、兵庫県三木市志染町安福田577の浄土宗・栄運寺住職、九十九淨二(せんじ)、寿(すい)の7人兄弟の末子として生まれる。栄運寺は元禄5年に中興され、竹中半兵衛の墓と供養塔がある事で知られている。  豊勝… 続きを読む