〔人物〕大正11年1月8日生れ。皆川元一の妻。昭和18年ころから本荘の由利木工製作所に勤め、こけしの描彩を専門に行なった。当時鳴子から来て由利木工所で働いていた高橋盛にも描彩の指導を受けた。高橋盛一家は昭和23年に鳴子へ… 続きを読む
佐藤甚吉
〔人物〕 明治34年3月24日、山形県最上郡戸沢村字金打坊の農業佐藤甚蔵の家に生まれる。父甚蔵の姉サクは最上郡及位の木地業佐藤文六の後妻となっていたので、甚吉はその縁から大正2年13歳より佐藤文六について木地の修業をした… 続きを読む
小浜子守地蔵尊
福島県二本松市小浜宇反町にある万人子守地蔵尊。子どもの守り本尊として「子地蔵尊」を貸し与える風習があり、子地蔵を里帰りさせ、新たに祈祷を受けるために、5月3日~5日の例大祭には 多くの参詣者が訪れにぎわう。発祥の時代はつ… 続きを読む
小野寺鉄蔵
山形県最上郡金山町の人。大正7年山形県の木地講習会が金山で開催され、鉄蔵の家が会場になった。この講習会には佐藤三治、菅原富蔵も参加した。金山は及位の隣の町であり、おそらく三治、富蔵は及位から指導に参加したのであろう。 ま… 続きを読む
佐藤豊七郎
〔人物〕明治22年2月15日、宮城県刈田郡七ケ宿村湯ノ原稲子の農業佐藤豊之丞、きのの二男に生まれる。大正7、8年の両冬、宮城県主催で佐藤松之進を講師とする稲子木地講習会が開かれ、豊七郎の小屋を受講場として、12名が受講し… 続きを読む
西山濱吉
天保元年4月7日、福島県信夫郡土湯村の佐久間亀五郎の二男に生まれた。長兄は佐久間弥七、浅之助、作蔵は甥にあたる。木地の技術は父亀五郎より修得した。同村の西山長太郎長女サクと結婚し、西屋西山金作(戸籍名弥三郎)の夫婦養子と… 続きを読む
渡辺隆
〔人物〕 昭和28年6月1日福島県福島市土湯温泉町杉ノ下のこけし工人渡辺等の長男に生まれる。昭和55年2月より父等について木地技術を習得、こけしの製作を開始した。父の等は昭和57年に60歳で亡くなった。妻女生き子もこけし… 続きを読む
安保一郎
〔人物〕 南部の木地業は古く、二戸郡浄法寺周辺で、平安期高倉天皇の時代頃から南部椀の製作を始めたと伝えられる。 浄法寺にある天台寺は天台宗の古刹で、ここで自家用の漆器を作り始めたのが浄法寺漆器の始まりであり、浄法寺御器と… 続きを読む
志田菊宏
〔人物〕 昭和34年1月30日、山形県西村山郡西川町大字大井沢の会社員志田八郎の長男として生まれた。 昭和52年に寒河江工業高等学校電気科を卒業後、河北町谷地で音響関係の会社に勤めた〈山形のこけし〉。 学生時代から祖父… 続きを読む
武田信吉
〔人物〕大正13年9月23日、武田卯三郎二男として天童市に生まる。昭和5年父卯三郎は機業が盛んであった米沢に移って木地工場の職人となった。昭和7年信吉は家族と共に父卯三郎のいる米沢市に移り市内桜木町(当時の町名は桶屋町)… 続きを読む