斎藤虎蔵

従来、斉藤虎丸の名で伝えられたこともあったが虎蔵が正しい。明治32年頃、山形市地蔵町の水口屋(山形県の醤油醸造元)に生まれた。山形市小橋町時代の小林吉太郎の弟子で、大正6年に吉太郎とともに米沢に移り、年季が明けた以後も吉… 続きを読む

近藤政光

〔人物〕大正3年11月28日、山形市の会社員近藤政蔵の長男に生まれる。尋常高等小学校卒業後、山形市内の印刷屋に勤めた。昭和8年看護兵として入隊した。昭和11年除隊し、神奈川県鶴見市の東京芝浦製作所で働いたが、同所木型部に… 続きを読む

奥山喜代治

〔人物〕 明治38年3月3日、山形県北村山郡大久保村(現村山市)大原の農業篠沢金蔵、いしの三男として生まれた。〈こけし辞典〉では父の名を篠原金蔵としているが篠沢が正しい。大正10年6月17歳のとき肘折へ行き、同郷大原出身… 続きを読む

高橋武蔵

〔人物〕  明治21年11月29日、鳴子の高橋亀三郎、のつの長男に生まる。深沢要の〈こけしの追求〉によれば、亀三郎は本業農業であるがその傍ら木地も挽いたという。武蔵は父亀三郎について木地技術を習得した。明治35年15歳よ… 続きを読む

高橋美恵子

〔人物〕 昭和33年12月28日、東京都日野市百草の会社員高橋佳隆、昌子の次女に生まれる。祖父は高橋忠蔵、兄は高橋通。姉は忠蔵庵の相良都義に嫁いだ。8歳の頃より、時々祖父の木地に面描をすることがあった。昭和52年東京佼成… 続きを読む

杉浦健治

福島県飯坂の人。健治の父が義太夫を通じて八幡屋佐藤応助と懇意であった。そこで応助の養子佐藤栄治の紹介を受け、明治31年20歳で栄治の師遠刈田の佐藤応助について木地を修業した。〈こけしの追求〉に採入された根本与市の聞き書き… 続きを読む

木村吉一

〔人物〕昭和26年7月12日山形県上山市のこけし工人木村祐助の長男に生まれた。木村吉太郎は祖父にあたる。昭和42年高等学校 在学中より、父祐助のロクロに上がって木地挽きの練習をした。 卒業後は牛乳販売店の経営の… 続きを読む

皆川たみ子

〔人物〕大正11年1月8日生れ。皆川元一の妻。昭和18年ころから本荘の由利木工製作所に勤め、こけしの描彩を専門に行なった。当時鳴子から来て由利木工所で働いていた高橋盛にも描彩の指導を受けた。高橋盛一家は昭和23年に鳴子へ… 続きを読む

佐藤兵七

〔人物〕   明治35年6月5日、福島県土湯温泉の佐藤嘉吉・スイの二男に生まれる。嘉吉は土湯の佐藤兵吉の次男で、膽沢為次郎について木地を修業した人。為次郎は兵吉の家の二階にロクロを据えて、足踏みロクロ… 続きを読む

西山敏彦

〔人物〕  昭和34年6月30日、福島県土湯温泉の木地業西山憲一・キヨの三男に生まれる。 昭和53年3月福島県立福島商業高校を卒業後、飯坂温泉のホテル聚楽㈱に入社、昭和55年転職して東北ムネカタ㈱で働いた。平成… 続きを読む