相沢美代子

相沢美代子(あいざわみよこ:1921~)

系統:独立系

師匠:見取り

弟子:なし

〔人物〕 大正10年、仙台の著名な尺八製作者相沢藤右衛門の長男相澤褜治の長女として生まれる。戸籍表記は相澤。藤右衛門の次男幸治は仙台の古い木地師佐藤賢治の養子となり、木地挽きを修業した。このような関係から元来絵が好きな美代子は、昭和11~12年代から賢治や幸治の木地に描彩をするようになった。〈こけしと作者〉の佐藤賢治の解説に「描彩は姪の手になり」とあるが、この姪が相沢美代子である(ただし実際は養子幸治の姪)。
美代子は東一番丁の櫻井玩具店の店頭を覗いて、こけしの顔や模様が皆別なのを見て、こけしはすべて別々に描かねばならぬと勘違いして、それぞれ異なった描彩をした。このことは「相澤美代子の勘違い事件」として当時のこけし界でちょっとした話題になった(〈こけしだより〉 米浪庄弌、昭和14年盛夏)。
昭和14年夏に米浪庄弌氏が訪問してこの誤解を解いたため、以降描彩が安定してアヤメ模様の同じようなこけしを継続して作るようになった。ただし美代子は同年秋に東京に移住したので、以後佐藤賢治、幸治の描彩は幸治が描いている。

〔作品〕  〈こけし辞典〉では鈴木鼓堂収集中の作(いわゆる佐藤幸治)を写真紹介し、これを相沢美代子の描彩と同定した。その解説には「太胴に桔梗模様で瞳の大きい作。可愛い人形で伝統的所産とは思われないが、幸治とは別個の稀品である。」と解説した。
下に掲げる写真が鈴木鼓堂旧蔵の所謂相沢美代子である。

相沢美代子描彩 31.5cm(昭和17年)(鈴木鼓堂旧蔵)
相沢美代子描彩とされたこけし
31.5cm(昭和17年)(鈴木鼓堂旧蔵)

しかし、このこけしは昭和17年と鼓堂による記入があり、美代子が昭和14年に東京に去った後の作である可能性が高い。木地は幸治であり、相沢美代子とは別の仙台の描彩者の手になるものであろう。
一方、〈こけしと作者〉が姪の描彩とした作は下の写真ようなこけしである。これは佐藤賢治として昭和初期の蒐集家の手に渡ったもの、おそらくこれが佐藤賢治木地に相沢美代子が描彩したこけしであろうと今では考えられている。
〔18.4cm(昭和13年)(小野洸旧蔵)〕 木地は佐藤賢治
〔18.4cm(昭和13年)(小野洸旧蔵)〕 木地は佐藤賢治
この描彩が相沢美代子によるものであろう。

〔伝統〕独立系、仙台一般型。

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