佐藤雅弘(さとうまさひろ:1937~2008)
系統:弥治郎系
師匠:佐藤直樹
弟子:小川文男(木地のみ)
〔人物〕 昭和12年3月1日宮城県刈田郡福岡村字鎌先(現在の白石市鎌先温泉)にて佐藤雅雄の三男(長男:直樹・次男:博・弟に光雄、善幸がいる)として生まれる。昭和28年直樹より本格的に木地挽きの指導を受ける,この頃直樹の工場には従兄弟の隼雄がおり,一緒に直樹の木地下・木地玩具の汽車・追っかけ独楽等を作ったという。昭和33年7月に仙台市東七番町で木工場を開業していた我妻吉助の職人となった。昭和48年頃、小川文男に木地の指導を行った。昭和50年市内太白区袋原にて独立、廣井道顕とは昭和63年まで袋原の借家で隣同士だった。男の一人暮らしとは思えない程きれい好きであり,こけし・茶筒・菓子鉢などを作っていたが、平成20年6月26日袋原にて没した。行年72歳。
〔作品〕 鎌先時代は主に直樹の木地下・木地玩具を挽いてるため雅弘本人描彩のものは残っていない。仙台に来てからは吉助の影響(頭の形は下ぶくれ・鬢は八の字状で外側にたれている)が強いものになっている。初期のものは吉助工場で紫の染料を使わなかったため頭部ベレーは墨で代用している。昭和50年独立後も吉助影響下のものを作っていたが,昭和62年頃蒐集家の薦めにより造付けの5寸伝伍型(西田蔵)を作りはじめた影響で、伝型など古作をもとにしたこけしの製作に取り組み、また父雅雄に似たものを作るようになった。平成14年頃より父雅雄・祖父勘内の実物復元を行い成功した。
〔右より 24.0cm(平成18年8月)、12.0cm(平成14年7月)、15.0cm(平成19年7月)(庄子勝徳)〕伝喜型
〔右より 18.0cm(平成19年1月)、24.4cm(平成19年1月)(庄子勝徳)〕伝内型
〔伝統〕 弥治郎系栄治系列