伊藤文博(いとうふみひろ:1926~)
系統:鳴子系
師匠:大沼誓/岡崎斉
弟子:
〔人物〕大正15年12月10日、宮城県玉造郡鳴子町赤湯の工夫伊藤文四郎・よしの長男に生まれる。昭和10年、妹のせつ子が生まれた(〈こけし辞典〉でせつ子を姉と記載しているが誤り)。昭和16年3月川渡村国民学校卒業。同年4月鳴子の岡崎斉について木地の修業をしたが一年未満で転業した。その後、昭和20年4月より大沼誓に弟子入りし、昭和25年5月まで修業。昭和26年10月より独立開業した。
こけしの製作は昭和28年5月に始める。初出文献は〈こけしガイド〉。昭和35年弟の昭徳が弟子となり、木地の修業を始めた。文博、千代子夫妻に子供がなかったので、弟昭徳を養子後継とした。鳴子町大口字赤湯三八で長く木地業に従事した。
〔作品〕描彩は妹のせつ子(昭和10年3月日生)が専ら行なっていたが、せつ子が三田家に嫁いだので、その後は妻千代子(昭和5年6月5日生)が行なった。女性描彩のため師匠からの継承はなく、鳴子の標準的な描法を取り入れている。
〔伝統〕鳴子系共通型
〔参考〕