今泉源治(いまいずみげんじ:1934~2023)
系統:土湯系
師匠:見取り
弟子:渡辺恒彦
〔人物〕 昭和9年7月20日、福島県土湯温泉に生まれる。養蚕山林業今泉初治、サダの長男。山根屋の渡辺作蔵の二女サイ(渡辺角治の妹)は明治39年に今泉源蔵の嫁となり、その子が初治であるから、源治は作蔵の曽孫に当たる。祖父源蔵は養蚕山林のかたわら正末昭初のころ木地挽を副業に行ない、機業用の木管を挽いていたらしい。今泉房雄は初治二男、源治の次弟である。
源治は昭和24年3月土湯尋常高等小学校を卒業、山仕事に従事した。昭和33年より見取り学問でこけし製作、おもに阿部広史、佐藤佐志馬を手本とした。昭和35年より独立開業した。初期のこけしは太治郎と佐志馬の影響をうけたようなやや濃厚な色彩の作風であったが、昭和43年5月、鹿間時夫のすすめにより浅之助型を復元、その後東京こけし友の会の注文もあり、同年9月由古型を復元、爾来由吉型を漸次自己流に消化、電光紋とロクロ線模様を組み合わせたすっきりした胴模様を作るようになった。時に胴下部の空間にあやめなどの小花を描くこともあった。
昭和46年頃、山根屋渡辺彦平の二男渡辺恒彦に木地挽きを指導した。
豪放顛落できわめて陽気、軽口をたたいて人を笑わせるが、こけし製作は几帳面で丁寧巧緻であった。
令和5年9月25日没、行年90歳。
〔作品〕初期の本人型は三日月型前髪と両鬢と接し、カセは二重線中空(輪郭線を描く)の独特なもの、瞳大きく、胴模様は赤と黒の目立つ濃厚な色調のこけしだった。
由吉型に由来する作品は、湊屋風に下瞼を伸ばした比較的小さい目であるが、頭の形と胴のバランスよく、品格のある優しい表情となった。一方で従来の本人型も継続して作っている。
〔右より 18.5cm、15.2cm(昭和43年9月)(橋本正明)〕 由吉型
下掲は。曾祖父にあたる渡辺作蔵の型を試みたもの。
〔系統〕土場系。血縁的には山根屋の流れを汲み作蔵型も作ったが、湊屋の浅之助型、由吉型も作った。本人型は太治郎と佐志馬の様式を取り入れた一般型である。
孫の今泉潮音もこけしを作るようになった。
〔参考〕
- 中根巌:渡辺作蔵型〈木でこ・229〉(令和2年3月)
- 中根巌:今泉源治と渡辺富士雄〈伊勢こけし会だより・165〉(令和3年3月)