大沼力(おおぬまちから:1927~2018)
系統:鳴子系
師匠:大沼誓
弟子:大沼秀則/片倉富夫/小山今朝記/佐藤俊夫/遠藤利夫/熊谷弥市
〔人物〕 昭和2年5月3日宮城県鳴子町新屋敷の木地業大沼誓・りんの四男に生まれる。長男、次男はともに2歳ころに亡くなり、三男は20歳のときに満州で没した。力が誓の後継者となった。
昭和16年鳴子尋常高等小学校を卒業すると、15歳で東京に出て内閣印刷局に勤務、昭和19年に鳴子に戻り、鉄道に約1年半勤めて終戦を迎えた。
昭和20年8月より父誓について木地の修業を始めた。こけしも修業開始当初から作っている。昭和27、8年ころ足踏みロクロから動力ロクロに変えた。この頃に片倉富夫が弟子入りしたので4年ほど木地を指導した。昭和34年には小山今朝記、昭和35年には熊谷弥市が弟子入りした。
こけしの写真による紹介は、昭和31年の〈こけし〉(美術出版社)が最初である。
昭和53年より二男秀則が木地の修業をはじめ、後継者としてこけしを作るようになった。
大沼力はその後も継続的にこけしの製作を続けたが、晩年は指先が震えるようになって、こけしの製作は殆ど休止していた。平成30年3月23日没、行年92歳。
弟子にはほに佐藤俊夫、遠藤利夫などがいる。
〔作品〕 〈こけし〉に紹介されたころの作品は一般的な鳴子の型であり、他の工人と比べて際立った特徴のあるものではなかった。
昭和41年西田峯吉蔵の大沼誓(〈こけしの美〉図版195)を西田の勧めで復元、同年2月の東京こけし友の会の例会で頒布された。下の写真の中央がその頒布品である。この復元作は従来の一般型と比べると格段に魅力ある作品になっており、〈こけし美と系譜〉図版43にも掲載された。
その後、昭和42年11月には深沢コレクションにある誓の地蔵型6寸の復元作を作った。キナキナの形態で頭が揺れるもの。下の写真の右端である。昭和43年に高円寺の民芸店「ねじめ」が、このこけしを注文して頒布した。
写真の左端も誓型、このこけしは昭和43年5月の東京こけし友の会のお土産こけしであった。やはり、キナキナの地蔵型である。
いずれも戦前の誓の特徴をよくとらえており、戦後の復元の成功例となった。
誓型の他に、本人型も作るが、誓の復元を行った後の本人型の方が、大沼力の個性が表れた作となって、生命力が感じられるようになった。
〔右より 17.6cm(昭和42年11月)深沢コレクション誓型、24.8cm(昭和41年1月)西田峯吉蔵誓型、12.3cm(昭和43年5月)〕
〔系統〕 鳴子系利右衛門系列
〔参考〕