大沼正雄(おおぬままさお:1910~1940)
系統:鳴子系
師匠:大沼竹雄
弟子:
〔人物〕 明治43年2月25日、宮城県玉造郡鳴子の木地業大沼浅吉、せいの四男に生まれる。祖父は大沼岩太郎である。兄の大沼竹雄より木地の指導をうけ、こけしの木地も多く挽いたが描彩は竹雄やその妻みつをが担当し、正雄自身は行なわなかったという。昭和13年ころ上京し本所厩橋の小島正のもとで働いた。小島正名儀のこけし、および小島正のもとで作られた多くの模作こけしには正雄の木地がある。
昭和13年有坂与太郎監修、深沢要解説で「こけしの代表作60本を選んで、それを一定の寸法に縮写し、鑑賞的であるばかりでなく、研究資料としても後世に伝えようとする企て」のもとに行われた「縮写こけし頒布会」があったが、その頒布品の木地も大沼正雄のもので、描彩は画家の猪谷春峰であった。
小島正の工場はきわめて労働条件が悪く、正雄はすっかり身体をこわしていた。兄竹雄の死で葬儀のため、ようやく鳴子へ戻ることができたが、そのときはすでに鳴子駅から自宅へ歩いて帰れないほどの衰弱であったという。兄の死後一ヵ月もたたずに、昭和15年1月23日、行年31歳で没した。大沼正雄の描彩したこけしはおそらく存在しない。正雄名義のこけしは存在するが、おそらく描彩は別人、大部分は小島正が描いたのであろう。
〔作品〕下掲写真は大沼正雄の名義で久松保夫コレクション中にあったもの。胴底には「大沼正雄」の墨書がある。加えてペン書きで「S.17」と記されているが前蔵者が入手年を記入したものと思われる。木地のみ大沼正雄、描彩は小島正、製作は昭和14年頃と思われる。
〔18.2cm(昭和14年頃)(村野斗史雄)〕 久松保夫旧蔵
〔系統〕鳴子系岩太郎系列 小島正の描彩は鳴子一般型。
〔参考〕