高野つるよ(たかのつるよ:1876~1941)
系統:鳴子系
師匠:高野幸八
弟子:
〔人物〕 明治9年9月13日、宮城県玉造郡岩出山町の畑甚吉・リエの長女に生まる。戸籍名「まつよ」、通称「つるよ」という。明治29年2月鳴子高野幸八と結婚。長女たけよ、次女アキ、三女かめを、長男幸一は皆生後間もなく亡くなった。次男孝作、三男孝次は無事育った。つるよは夫の幸八を手伝い、こけしの描彩をしたという。大正9年7月幸八と死別、次男孝作が家督を継いだ。昭和11年、一家で福島県会津若松市善久町に移った。昭和16年3月6日会津若松にて没した。行年66歳。
〔作品〕 鳴子時代の作は残っていない。西田峯吉蔵品中に、松田初見の木地を会津若松に持参して「つるよ」に描かせたものが二本現存している。〈古鳴子追想〉〈こけしの美〉〈鳴子・こけし・工人〉で写真紹介された。胴底には「高野まつよ 66歳 昭和16年2月3日」の記入があるが、これが描彩した日付かどうかは分らない。菊と楓の胴模様の二種であり、一筆目の面長な表情が描かれている。古鳴子の幸八系列を解明する資料的役割を果たした。
〔21.8cm、21.8cm(昭和16年2月)(西田記念館)〕
木地は松田初見、描彩は高野つるよ
〔伝統〕 鳴子系幸八系列