鳴子の伝大沼又五郎や、高橋勘治のこけしの両鬢の形状を、蒐集家は俗に角髪(みずら)と呼んでいる。 鬢は上方で紐などによって結ばれた様に描かれる。
高橋勘治(日本こけし館蔵)の頭部(所謂角髪)
角髪(みずら)は、日本の上古における貴族男性の髪型で、総角(あげまき)、揚巻(あげまき)、美豆良(みずら)とも言う。
埴輪にもこの髪型をした武人像などが良く見られる。
髪全体を中央で二つに分け、耳の横でそれぞれ括って垂らす。そのまま輪にするか、輪の中心に余った髪を巻きつけて8の字型に作る物とがある。総角はその変形で耳の上辺りで角型の髻を二つ作ったもので、これは少女にも結われた。 この髪型、あるいはその変形は、江戸期まで、童子や童女に長く残ったようである。
下掲の写真は、初期の御所人形であるが、これは両鬢の上方を糸で括ってある。
これが角髪(みずら)由来のものかどうかわからないが、糸で結んだ鬢をたらすこの形態が、伝大沼又五郎や高橋勘治のこけしの鬢様式の本当の祖形であろう。
下掲の写真は、江戸期に京都で作られたというロクロ製の木人形で、表面に胡粉を塗り、精緻高雅な描彩が施してある。この木人形の両鬢も赤い糸で括られたように描かれている。
頭部には御所人形風の水引が描かれており、頭部全体の描彩の各要素は、ほぼこけしと同じと言ってよい。
東北にこけしが誕生する前史として、京を中心に発生し、日本各地に伝播した人形の長い歴史に思いをいたす必要がある。
下掲写真の鳴子・遊佐雄四郎の鬢の描彩は、こうした古い人形の鬢の描法を忠実かつ正確に伝えている。
こうした確かな人形の流れを大局的に見ていけば、「こけしは、貧しい山の木地師が自分の子供に作って与えた木人形から始まった。」というのは一種の幻想であることがわかる。はるかに雅(みやび)なものに憧れ、それを求める人たちが居てこけしは生まれたのである。
〔参考〕