大類連次(おおるいれんじ:1909~1973)
系統:木地山系
師匠:高橋兵治郎/樋渡治一
弟子:
〔人物〕明治42年4月28日、秋田県雄勝郡川連村久保の木地打師樋渡徳太郎、スエノの次男に生まれた。長兄は治一。川連小学校を卒業し、15歳から久保の高橋兵治郎、兄の樋渡治一について立木木地を習得した。約10年間木地を挽いたが、昭和8年、大類家の婿となり妻芳江と結婚後、兄と家が違って同業では具合が悪いというので漆器販売業に転業した。
以後ずっと木地は挽かなかったが、昭和33年、火事で家を焼き、翌年3ヵ月ほど、秋田県大湯の奈良靖規の工場で働き、靖規が描く鳴子型こけしの木地を挽いた。その後、昭和38年にも火事にあった。昭和43年、兄の樋渡治一が他界したので、翌44年より川連にてふたたび木地業に戻った。
なお名前を連治とするものがある連次が正しい。
昭和48年9月27日没、 行年65歳(数え年)。
〔作品〕昭和7年に木村弦三が樋渡治一にこけし製作を依頼したが、そのとき製作された5本は連次が作ったものであった。二重瞼にラグビージャージ様の胴模様を手描きで施した。ただし、昭和8年には大類家の婿となり木地から離れたので、連次が治一名義のこけしを作ったのは昭和7年の一時期のみである。
以後の樋渡治一名義のこけしは治一木地に、蒔絵画工の樋渡辰治郎が描いたものという。
〔21.5cm(昭和7年頃)(鹿間時夫旧蔵)〕大類連次描彩かとされるもの
〔伝統〕木地山系
〔参考〕