小椋正吾(おぐらしょうご:1934~1992)
系統:木地山系
師匠:小椋正治/小椋久太郎/古関仁郎
弟子:小椋正勝
〔人物〕昭和9年4月20日、秋田県雄勝郡稲川町大館の小椋正治、シエノの三男に生まれる。父の正治は久四郎の兄庄太郎二男であるが、明治32年に一家で川連大舘に移った。母のシエノは久四郎の長女である。正吾は父の正治について木地を学んだが、父正治は昭和20年10月10日亡くなったので、さらに椀木地師であった古関仁郎について椀挽きを習った。正吾には父の先妻の子であった兄が二人いたが、いずれも南方で戦死していたので、正吾が家督を継いだ。
こけしは、昭和47年頃から木地山の従兄小椋久太郎より指導を受け、昭和48年頃より作品を出すようになった。長男の正勝も一時こけしを製作した。
平成4年2月22日没、行年59歳。
手前 小椋正吾 奥 小野寺正徳 昭和59年1月吉祥寺近鉄百貨店
〔作品〕こけしは指導を受けた久太郎一家の型のほかに、本人型、正治型、石蔵型などを作った。
〔右より 24.3cm(昭和50年)正治型、24.0cm(昭和54年)石蔵型(高井佐寿)〕
平塚俊夫は、昭和58~59年作の石蔵型を評して、「石井之眞之助氏の石蔵発掘当時の作を思わせる。団扇を持つ物、黒い襟や帯が強調された物、石蔵が空所恐怖症であったかのような全体を竹で埋めた物は、シニャックの点描を彷彿させる。何れも石蔵作に比べ、健康的な優美さを感じさせる。早世が惜しまれる。」と書いている。
〔伝統〕木地山系
〔参考〕
- 平塚俊夫:小椋正吾の石蔵復元 〈こけし手帖・517〉(平成15年12月)