小椋宏一

小椋宏一(おぐらこういち:1931~2003)

系統:木地山系

師匠:小椋久太郎

弟子:小椋利亮

〔人物〕  昭和6年1月20日、秋田県皆瀬村川向(木地山)の小椋久太郎・ミヨの長男に生まれる。昭和19年小学校卒業後、父久太郎のもとで木地の手伝いを行った。昭和26年より本格的に木地の修業を開始、久太郎のこけし木地を挽いたり、田畑の作業を行った。妻女リヨとの間に長男利亮がいる。父久太郎が平成10年に亡くなるまで、父のこけしの木地を挽きつづけた。
自分の描彩によるこけしはほとんど作らなかったが、依頼されてまれに描くことがあった。
娘の美恵子が描彩を担当することが多かったが、美恵子が結婚して横手に移り、子供に手がかかるようになってからは、古関節郎、古関六平、草柳散歩らが描彩を担当した。
古関節郎は平成10年より引継いだ。その後節郎は木地山を下ったので、兄で盛岡在住の古関六平が平成11年より描彩にあたるようになった。同時期に熱心な木地山愛好家でもあった草柳散歩も木地山に滞在して描彩した。
平成15年12月18日没、行年73歳。

小椋宏一 昭和50年
小椋宏一 昭和50年


小椋一家 昭和50年
左より 宏一、留三、久太郎、ミヨ、利亮、リヨ

〔作品〕木地山のこけしは久太郎がほとんど描いていたので、久太郎生前は、長男宏一や孫利亮が本格的に描くということはなかった。蒐集家の要請でまれに描彩することはあった。

〔18.9cm(平成元年)(高井佐寿)〕
〔18.9cm(平成元年)(高井佐寿)〕

下掲は古関節郎が木地山から下った後、草柳散歩が描彩したもの。宏一名義で世に出た。草柳散歩は昭和18年生まれで東京工業大学在学中から4年間、木地山に通い詰め久太郎に可愛がられた。散歩は平成11、12年ころに木地山に滞在して描彩した。


〔33.8㎝(平成12年5月)(中根巌)〕 宏一名義 描彩は草柳散歩

系統〕 木地山系 

 

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